■S:今日の聖書の言葉

使徒の働き20章21節(エレミヤ書20章)

★ ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神に対する悔い改めと、私たちの主イエスに対する信仰とをはっきりと主張したのです。

■O:今日のコラム

主が私たちにもたらしたものはたくさんあります。それをある側面から言うと、悔い改めと信仰です。

悔い改めとは、ギリシャ語で『メタノイヤ』です。これは、ごめんなさい、ではなく、マインド・チェンジ(思いを変える、変えていただく)ことです。

そして信仰はギリシャ語で『ピストス』です。これは、信仰、忠実、誠実とも訳せる言葉です。

タラントのたとえで『よくやった。良い忠実なしもべだ。』とあった時の『忠実』がそれです。

私たちの信仰とは、心で信じる以上のものです。ヤコブへの手紙の中で、行いのない信仰は死んだ信仰です、とありますが、これを忠実に変えると良く分かります。行いのない忠実は、忠実とは言えませんから。

ホセア書で『わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない』と言われた事も、信仰が誠実と訳せる言葉が使われていること(ギリシャ語でですが)を思うと、さらに理解が深まります。(信仰によって義と認められるのですから)

よく言われる事ですが、神を信じることなら、サタンも神を信じている、と言われます。信仰とは信じる事以上のものです。神の民にあって、サタンに無いものそれは、『神に対する忠実さ、誠実さ』です。

私たちが信仰に生きる、と決断するなら、それは『神に対して忠誠をもって生きる』というのに等しいことです。

信仰の創始者であり、完成者であるイエス・キリストから目を離さないでいなさい、とも聖書にはありますが、忠誠を果たすためには、その対象から目を離せませんから、当然のこととも言えます。

■A:考えてみよう

自分の思いを神に明け渡し、神の思いに帰り、神に忠実な者として生きることを日々願いましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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