■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙14章23節(申命記14章)
★ しかし、疑いを感じる人が食べるなら、罪に定められます。なぜなら、それが信仰から出ていないからです。信仰から出ていないことは、みな罪です。
■O:今日のコラム
信仰からでていないことは、みな罪です。
この信仰と訳されている言葉は、ギリシャ語で『ピステス』で、忠実、誠実、貞節とも訳される言葉です。
ヘブル語で信仰と訳される言葉も似ています。ヘブル語で『エムナ』で『信仰』と訳される以上に、『しっかり』とか『忠実』『誠実』と訳される言葉です。
だからこの句をこうも読めます。『誠実』さから出ていないものは、みな罪である、と。
信仰とは、神に対する誠実さでもあります。私たちのすべてを尽くして、主に誠実であり続けましょう!
『信仰がなければ神を喜ばせることができない』とはどういう意味か、『わたしは、いけにえを喜ばず、わたしは誠実を喜ぶ』とはどういう意味か、この原語の意味を噛みしめると理解がとんでもなく広がります。
もちろん誠実さは、どんどん成熟していくものです。だから、人と比べて落ち込んだりする必要はありません。どれほど誠実を尽くしているかは、主と自分にしか理解はできませんから。
そして誠実が成熟すると確信にいたります。(アブラハムは信仰が強くなって、堅く信じるようになったとあります。)
この確信は、御国をもたらし、イエス様のもとに導く力です。
『なぜなら、私たちの福音があなたがたに伝えられたのは、ことばだけによったのではなく、力と聖霊と強い確信とによったからです。』(テサロニケ人への手紙 第一 1章5a節)ともありますから。
私たちは霊的にアブラハムの子孫です。
アブラハムがまずその誠実によって義と認められたからです。
ヘブル語のエムナを誠実と訳するならば、次の句の意味は大きく変わるでしょう。
『彼は、不信仰によって神の約束を疑うようなことをせず、反対に、信仰がますます強くなって、神に栄光を帰し、神には約束されたことを成就する力があることを堅く信じました。だからこそ、それが彼の義とみなされたのです。』(ローマ人への手紙4章20-22節)
誠実でいるのが難しい状況、疑うほうが楽な状況で誠実を尽くし、主をお喜ばせすることを選びましょう!
それが、私たちの信仰の父、アブラハムの信仰です。そうあれるように主に求めるなら、必ず主は成し遂げてくださいます。
何でも御心にかなった願いは、かなうということが主の約束だからです。
■A:考えてみよう
主に誠実を尽くす。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
オンライン献金はこちらから。
大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。