■S:今日の聖書の言葉
レビ記26章1節

★あなたがたは自分のために偶像を造ってはならない。また自分のために刻んだ像や石の柱を立ててはならない。あなたがたの地に石像を立てて、それを拝んではならない。わたしがあなたがたの神、主だからである。

■O:今日のコラム
レビ記は、レビ人に向けての書簡と思いますが(確かにそうなのですが)、原語では「ワイクラー」で「神は呼ばれた」という意味です。私たちの召しを悟らせる書簡です。そして26~27章はその終わりなので召しを全うする事に関わりがあると信じます。
 
ちなみに5節は、ダビデの幕屋の回復に関わるものです。

「あなたがたの麦打ちは、ぶどうの取り入れ時まで続き、ぶどうの取り入れ時は、種蒔きの時まで続く。あなたがたは満ち足りるまでパンを食べ、安らかにあなたがたの地に住む。」(レビ26:5)

アモス書には同じことが書かれています。

「その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。ーなされる主の御告げー
見よ。その日が来る。ー主の御告げーその日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。」(アモス9:11~13)

ダビデの幕屋となり、主の臨在を愛し、喜びをもって仕える礼拝者として、一人ひとりが回復していきますように。この偉大な召しに応えるための最も初歩的で、最も重要な召しは、1節にあるように、自分のために偶像を作らないことです。
 
これは神の民としての入口でもあります。私たちは、イエス様を主と信じて告白して救いに入っていくのですから。私たちの人生の主人はイエス様です。
 
しかし、自分が心の王座に座って自分の人生をコントロールしてしまうことがあります。この状態では、私たちはいのちへ向かって歩むのではなく、滅びに向かって歩んでしまいます。これは自分の肉が偶像となっている状態です。
 
主を主人としてお迎えするために、ひれ伏し、悔い改め、主の慈しみも懲らしめも両方を受け入れる覚悟をもって砕かれていましょう。ちょうど良いときに主が、引き上げてくださるのです。
 
私たちの召しは、私たちがV字回復をしていくことです。死と葬りと復活の歩みともいえます。教会も初代教会という栄光の教会から、中世期に堕落し、宗教改革をターニングポイントに回復し栄光の教会となります。人類も、主との完全な交わりのあるアダムの状態から堕落し、十字架をターニングポイントに回復し、しみや傷のないキリストの花嫁となります。イエス様自身、神であるのにその栄光をお捨てになられ、よみにまで下り、そして全ての名の上に名を置かれる方となられました。全てがV字回復です。
 
その私たちの召しを受取りましょう!ただ生まれ、何となく生き、目的なく死ぬ者として私たちは存在していません。私たちは、イエス様と一つになる者として、キリストの花嫁として召されているのです。
 
それは死んだときに突然やって来るものではありません。キリストを主人としてこの地上を歩むことを選び続けた者に報いとして与えられるものです。主を自分の主人とし、自分の心の王座から肉を退けましょう。

聖書では、いつでも偶像は砕かれて廃棄されます。自分の心を砕くときに、自分の肉という偶像も砕かれていきます。そのように身を低くしている者を、主はちょうど良いときに引き上げてくださるのです。

■A:考えてみよう
主を恐れ、悔い改め、砕かれた心で地上を歩むことを学んでいきましょう!
心の王座を主に明け渡すことを尊び、キリストの血の力を自分の霊、肉、たましい、仕事、時間、経済、計画、評判、家族に宣言し、これらがすべて主の贖いのゆえに主の物であることを日々、告白しましょう!

■P:祈り
心の王座を主に明け渡します。キリストの血の力を自分の霊、肉、たましい、仕事、時間、経済、計画、評判、家族に宣言します。これらは、すべて主の贖いのゆえに主の物です。私は主の物です。それは私の喜びです。あなたをもっと愛したいです。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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