■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書26章39節

★それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」

■O:今日のコラム
今日からイスラエルのカレンダーでは過ぎ越しの祭りが始まります。主イエスはこの過ぎ越しの時に、傷の無い神の小羊として十字架にかかられ、神のさばきの杯を一身にお受けになり、血を流し、完全な贖いを成し遂げてくださいました。

イスラエルの祭りはただの祝い事ではなく、それは神の定めたカレンダーであり、その内には霊的な原則と、預言的な力があります。この過ぎ越しの祭りの時に、十字架にかかられた主イエスを見上げ、その血潮によって私たちの罪を完全にきよめ、世に下るさばきから守り、災いが過ぎ越して行く恵みを与えてくださった主に感謝し、主イエスの血潮を我が身と家族に受け取りましょう。

主イエスが十字架に向かう苦しみと葛藤、誘惑との戦いは、ゲッセマネの園から始まります。ある意味においてゲッセマネの園で、十字架の贖いの完了があらかじめ成し遂げられたと言うことが出来、それは汗が血に変わる程の祈りによってなされたのでした。

ここで主イエスがどの様に祈られたのか注目してみましょう。それは「ひれ伏して」祈ったのです。「ひれ伏す」とはただ「ひざまずく」だけではなく、地に体を伏して、頭も付け、完全に伏して祈ったのでした。

「ひれ伏す」祈りは、自分を放棄し、完全に主に明け渡す祈りです。地に伏して祈る時、自分の内にある霊の領域も、魂の領域も、肉体の領域も全てを主の統治と御計画に委ねるのです。

主イエスはゲッセマネ(その意味は油絞り)の園で、地にひれ伏し、汗が血に変わる程の祈りの格闘をされ、油注がれた王が三度ひれ伏して完全に油を注ぎ出し、賞賛を受ける英雄としてではなく、全人類の罪の重荷を背負う、しもべとして十字架の道へと向かわれました。

この主イエスの祈りを思う時、なぜ私がひれ伏さないでいられましょうか。全てを捨てた主イエスの前に、私の神学も、理想も、プライドも全てを投げ捨てて、地に身を伏してただ主イエスの十字架の業とその血潮の恵みに感謝するばかりです。

今日、私たちも自分のゲッセマネの園に向かいましょう。そこで三度ひれ伏し、主イエスが祈られたように「わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのようになさってください。」と祈りましょう。

十字架の先には葬り、そして復活が用意されています。自分を主に明け渡し、自分の計画に死ぬ時、神の偉大な計画が私たちの人生に生きるようになるのです。

■A:考えてみよう
この過ぎ越しの時に、主イエスの血潮を告白し、三度ひれ伏して祈り、自分を主の御前に明け渡す祈りを捧げましょう。この過ぎ越しを通過し、主イエスと共に三日目の復活の恵みに与りましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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