■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙6章15節

★こうして、アブラハムは、忍耐の末に、約束のものを得ました。

■O:今日のコラム
アブラハムは神様から大いに祝福されました。更にその祝福は子孫にまで及び、敵の門を勝ち取るとの約束を得ました。

信仰生活の中で、なぜこのような事が起こるのか、この試練はいつまで続くのかと嘆きたくなるような事が起こる時に、私たちは信仰と忍耐が試されます。

まさにアブラハムも息子イサクをいけにえとして捧げるという、考えてもいなかった命令を神様から受けます。

「翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、ふたりの若い者と息子イサクとをいっしょに連れて行った。」(創世記22:3)

この御言葉からも分かるように、アブラハムは神様の言葉にすぐに従ったのです。アブラハムにとっては何の益にもならないような辛い命令でしたが、アブラハムは主の言葉に従順に従いました。

なぜそのような事ができたのでしょうか。

状況が良い時に御言葉に従い、礼拝を捧げることはある意味簡単かもしれません。しかし、たとえ私たちの状況が悪い時でも神様は礼拝を受けるに相応しいお方です。アブラハムの人生を見ると、絶えず神様を恐れ、御言葉に従順に従い、礼拝を捧げる姿を見ます。

「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい。」(申命記6:5)

私はこの御言葉を朗読する度に、自分が生かされている目的を知ります。この身体は主を礼拝する為にあります。たとえ試練の中であろうとも、私たちの生かされている目的は変わりません。これは自分自身に言い聞かせていますが、どのような状況であっても神様を礼拝することをやめてはいけません。神様は昨日も今日も明日も礼拝を受けるべきお方だからです。

「礼拝」という言葉はヘブル語では、額を地面につけて伏すことを意味します。そうすることによって、私たちは単に御言葉を繰り返すだけではなく、その時間を主への礼拝として捧げることが出来るということが、血潮の祈りの本(アテフ•メシュレキー著)に書かれてありました。

ひれ伏して祈る時に、イエス様は私の主人であり、主の御前で自分は何者であるのかを霊肉魂で知り、認めることができます。

我が家でも毎日、朝昼晩とひれ伏す祈りを捧げています。主にひれ伏す度に、悔い改めの言葉が溢れてきます。そして、ひれ伏す礼拝をするとイエス様の豊かさ、平和、従順が心に与えられていくことに気づかされました。

私たちの主人であるイエス様は愛に溢れ、豊かさに満ちておられるお方です。そしてひれ伏す中で、私たちの内に御言葉なる主が住まわれることを経験するでしょう。そして内に住まわれる御言葉なる主は、私たちを励まし、試練に耐える力と忍耐を与えてくれるでしょう。

「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます。」(第1コリント13:4~7)

どのような状況であっても、愛そのものであられるイエス様を追い求めましょう。この愛は私たちを生かし、信仰のレースを走り切る力を与えてくださいます。

今日も主の御前で身を低くし、私たちの全身全霊をもって主を礼拝しましょう。川の水が下流に流れていくように、主の恵みはへりくだる者に注がれると信じます。

■A:考えてみよう
私たちは「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして」主を礼拝しているでしょうか。

今朝も主にひれ伏し、神様が私の救い主であり、主であり、王であることを認め、へりくだる心を持ち一日をスタートしましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 よしあい 】

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