■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙5章8〜9節
★キリストは御子であられるのに、お受けになった多くの苦しみによって従順を学び、完全な者とされ、彼に従うすべての人々に対して、とこしえの救いを与える者となり、
■O:今日のコラム
私たちが人と接する時には、忍耐と従順な心が必要なことがあります。イエス様はその忍耐と従順を学ばれたお方でした。イエス様はピリポに、
「ピリポ。こんなに長い間あなたがたといっしょにいるのに、あなたはわたしを知らなかったのですか。」(ヨハネ14:9a)
そのようにピリポが分かるまで待たれたお方です。そしてそのイエス様の心は、自分の罪を悲しむ者、心の弱い者に対してはもちろん、不親切な者、感謝しない者、愚かな者、道を踏み外した者までにも及ぶのです。
ではイエス様は、その忍耐と従順をどこで学ばれたのでしょうか?ここには「苦しみによって」と書かれています。私たちがイエス様の忍耐と従順を受けるには、やはり苦しみを通して学ぶことになるのではないでしょうか。人は苦労して、人の心を知る者となると信じます。
イエス様は学びの人です。そのお方は神の御子です。その神の御子は救い主となられるために、従順を学ばれたのです。苦難の中で、多くの苦しみを受けて学ばれたのです。
「あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。」(第1ペテロ2:21)
と記されているように、私たちの主イエス様さえも学ばれたと言うのであるならば、私たちはどこまでも学ぶ者となりましょう。
私たちはこの世で生きていく中で、多くの苦しみ、ストレスと感じる事柄、疲れや重荷があります。しかし、そのような苦しみの中にあっても、イエス様が学ばれ、歩まれたように、私たちも忍耐と従順を学び、その背後におられるイエス様の愛によって成長し、造り変えられ、感謝できる者とさせていただこうではありませんか。
■A:考えてみよう
イエス様は父なる神に従順でした。父の御心に従われました。もしイエス様の従順がなければ私たちの罪の赦しは無かったのです。
そのことを信じるのであるならば、私たちも父なる神の御心を行う者として、イエス様の似姿へと造り変えていただきましょう。忍耐と従順を学び、イエス様の香りを放つ者として、イエス様を伝える者として、用いていただきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 てる 】
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