■S:今日の聖書の言葉
ゼパニヤ書2章3節a

★主の定めを行うこの国のすべてのへりくだる者よ。主を尋ね求めよ。

■O:今日のコラム
以前、イスラエルに行った時に、嘆きの壁の前に立って、主の前にした一つのことがありました。それは、「花嫁の心を求めます」という決心でした。

自分の夢でも願いでもなく、この人生かけて主を愛し、主を慕い求め、主の心を満たしたいと願いました。もっと神様だけを見つめたい、もっと愛したい、もっと飢え渇きたい、もっと求めたい…聖霊様の助けによって、そのような飢え渇きが与えられました。

すると、そのような情熱、飢え渇きは、私の心に喜びをもたらしてくれました。主の心を満たすなら、私たちの心は満たされます。主を喜ばせるなら、私たちも喜びに満たされます。主の楽しみは、私たちの楽しみとなるのです。

自分が経験したことですが、「あれがあれば楽しい」「こうなれば幸せ」「あれがあれば良い暮らしが出来る」などと考えたことがあります。しかし、結局手に入れても喜びは一瞬で、私の心は何も変わることなく、また再び「あれがあれば…」という欲求が生まれます。

いつまでも心は満たされません。なぜなら、その願いは主の心を喜ばせるものではなかったからです。むしろ、他のものを求め、主の心を痛める行為であったと思います。

主が喜びとするのは、他の何ものでもない、主ご自身を、ただ一人の主だけを見つめ、尋ね求めることです。

「主は天から人の子らを見おろして、神を尋ね求める、悟りのある者がいるかどうかをご覧になった。」(詩篇14:2)

主を尋ね求め、主を慕い求めることが本来の私たちの姿であり、主の定めなのです(ゼパニヤ書2:3)。主が喜びとし、主が願っている本来の私たちの姿へと回復していきますように。

今日のゼパニヤ書2章は、「恥知らずの国民よ。こぞって集まれ、集まれ。」と、主の燃える怒りの日が来る前に、立ち返るようにユダの民に促すところから始まりますが、実にインパクトのある呼びかけです。

「恥知らず」とは、「慕う、恋い慕う、熱望する」を意味する「カーサフ」に否定辞「ない」がついて「恥知らず」と訳されています。これは、「主を恋い慕わない民」は、「恥知らずな民」だという意味です。

主の激しい怒りの日が来る前に、悔い改めの門が開かれている今、自分が恥知らずな民であったこと、自分の生ぬるさを熱心に悔い改めましょう。聖霊様の助けによって、私たちの中に主を慕い求める花嫁の心、ダビデの霊性が回復しますように。

今日も、飢え渇きと情熱、主に会いたいという渇望、花婿を慕い求める花嫁の心をもって主の御前に出ていきましょう。

「それで、あなたは、どこから落ちのたかを思い出し、悔い改めて、初めの行いをしなさい。」(黙示録2:5a)

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)

■A:考えてみよう
全能のイエス・キリストの御名によって、主を愛する情熱と飢え渇きを受け取ります!と宣言していきましょう。

また、今日捧げられる全ての礼拝において、ただ一人のお方を慕い求める花嫁の心、ダビデの霊性が回復するよう、祈り求めましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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