■S:今日の聖書の言葉
テモテへの手紙第二1章9節
★神は私たちを救い、また、聖なる招きをもって召してくださいましたが、それは私たちの働きによるのではなく、ご自身の計画と恵みとによるのです。この恵みは、キリスト・イエスにおいて、私たちに永遠の昔に与えられたものであって、
■O:今日のコラム
このテモテの時代の背景はどのようなものだったでしょう。
第一、二テモテの手紙を読むと、信仰が離れ出ていく者が起こったり、一生懸命宣教したにも関わらず背教と思えることが起こっていたのだと分かります。その中でテモテは落ち込んでいたのではないでしょうか。だからこそ、パウロはこの手紙を通してテモテを励ましているのです。
では、どのような励ましをしているでしょうか。「テモテ、あなたのしてきたことは素晴らしいよ、よくやってるよ。」とか、「苦しいよね、つらいよね。」というようなテモテに寄り添う心、ほめる気持ちもあったでしょう。
しかしそれ以上に、今日の箇所のように、「神様があなたを召してくださったんだよ。」と励ますのです。これは真の励ましではないでしょうか。そうです、私たちが自分で選んだのでなく、神様が私たちを召し、神がその場所に私たちを置いているのです。
自分自身に基準を置くときに私たちは、うまくいくと自分がやった、と高ぶってしまうものです。また、うまくいかない時には、私が駄目だからこうなったんだ、もうふさわしくない、立てないと落ち込んでしまうのです。このようにして信仰生活にアップダウンが起こってしまうのではないでしょうか。
しかし、決して間違うことなく、偽りのない真実な神様が、私たちの働きでなく、ご自身の計画と恵みによって召してくださったのです。召された者でなく、召してくださった方が真実なのです。
「私たちは真実でなくても彼は常に真実である。」(Ⅱテモテ2:13a)
「あなたがたを召された方は真実ですから、きっとそのことをしてくださいます。」(Ⅰテサロニケ5:24)
ここに立つ時に、もちろん試練の時、栄える時という状況の変化はあろうとも、この心は揺らぐことのないものヘと造り変えられていくのです!
私自身、落ち込んだり、こんな私に何ができるのかと思うことがあります。しかし、そのたびに祈るのです。
祈りの家で祈る時、会堂で賛美をする時によく、掲げられている十字架を見上げます。進めない、自分の愚かさに失望する時に、この十字架を見ると、私の内に生きておられるイエスキリストを強く感じます。
自分はどういうものであるか、でなく、神様がどういうお方で、神様は何をしてくださったか、神様がなんと言っておられるか、という視点へと目が開かれるのを、まだ本当に本当に一部ですが体験しているように思います。
「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているででなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。私は神の恵みを無にはしません。もし義が律法によって得られるとしたら、それこそキリストの死は無意味です。」(ガラテヤ2:20‐21)
苦しい時も、栄える時も、真実な主に信頼して、自分に与えれた走るべきレースを今日も、私も含めてお一人お一人が歩んでいけますように心からお祈りします。
■A:考えてみよう
今日の聖書箇所、コラムの中にある聖書箇所を朗読し、以下のことを中心に点検する時間をもちましょう。(Ⅱテモテ1:9,ガラテヤ2:20-21)
落ち込む時に自分を見ていないだろうか。その時こそ、十字架のもとに走っていきましょう!十字架のもとで、慰め、励ましを受け、そして自分から神様へと方向転換されていくように祈り求めましょう。
また、自分が出来ること、うまくいったことに土台を置いていないでしょうか。十字架の恵みを放従に変えることなく、神の国のため正しく用いていくことができるように祈り求めましょう。
「あなたのうちに与えられた神の賜物を、再び燃え立たせてください。」(Ⅱテモテ1:6b)
「そして、あなたにゆだねられた良いものを、私たちのうちに宿る聖霊によって、守りなさい。」(Ⅱテモテ1:14)
■P:祈り
愛するイエス・キリストの名前によってお祈りします。アーメン。
【 ゆうこ 】
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