■S:今日の聖書の言葉
ヘブル人への手紙10章9節

★後者が立てられるために、前者が廃止されるのです。

■O:今日のコラム
夕があり朝があったと創世の時に繰り返し言われた神様は、小さな光から、より大きな光を導き出されます。そのためには、初めのものは廃止されなければなりません。

神様と人との出会いの場所についてもそうです。ソロモンの神殿が廃止されることによって、ゴルゴタの丘の上に十字架が立てられたように、まず取り除かれて、そこに立てられるのです。

律法の時代、祭司たちは毎日、朝と夕に羊を殺し全焼のいけにえをささげました。それとともに、かなりの量の捧げ物をし、労動のようにしなければならなりませんでした。しかも、このように毎日いけにえをささげても、神様を求めてくる人々を完全にすることができなかったのです。このいけにえは、人間の内側にある根深い罪に対しては、根本的な解決にはなりませんでした。

そのため神様は、みこころを行うためにこの世にイエス様を送られました。それは、【前者】の旧約のいけにえのやり方を廃止し、【後者】の新しいいけにえのやり方を立てるためでした。イエスキリストは、神様のこのみこころにしたがって、十字架の上でただ一度ご自分をささげられ、永遠の和解のいけにえとなられました。これによって、私たちは聖なるものとされたのです。

いけにえは、完全に罪を除き去ることはできませんが、イエスキリストの十字架で、私たちの罪は完全に永遠に贖われたのです。イエスキリストの血潮によって、私たちは神様の御前で永遠に全うされた者となったのです。

「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。」(Ⅱコリント5:17)

私たちの内側になされる神様の御業も同様で、古い罪の性質が取り除かれて新しい人が生まれるのです。

そして、私たちの信仰も同様です。自分の義が取り除かれて、キリストの義が与えられます。間違えた平安が取り除かれて、まことの平安が与えられます。古い自分が取り除かれて、新しい自分が生まれます。自分の力が失われて神様の力が与えられるんです。

私たちは、古い律法に生きるのではなく、イエス様の十字架によって完全に罪赦され、神様の圧倒的な恵みの中に生きる者とされていることを信じます。

■A:考えてみよう
私たちが直面している試練は、私たちに失望落胆を与えるかもしれません。それは、今ある問題に目を向けているからではないでしょうか?もしそうするのであれば、神様が私たちのために備えてくださっている栄光ある計画を見失ってしまうことになるでしょう。

神様に目を向けましょう。そうするのであれば、私たちは神様が用意してくださっている新しい者へと変えられていくことを信じます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

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