■S:今日の聖書の言葉
ヨナ書4章10~11節
★主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
■O:今日のコラム
突然ですが、最近、自転車を無くしました。夜、駅前に止めていたら消えてしまいました。焦りながら歩き回って探し、それでも本当に見つからず、盗まれた?歩いて帰るの?買うの?と考えると泣きそうでした。私はあきらめず必死になって探しました。
その時、今日のマナメールの箇所が頭をよぎりました。なぜなら、自転車に乗る前にマナメールの箇所を読んでいたからです。私は、自転車でさえこんなにも必死に探し、おまけに泣きそうになって探し回っているのに、失われている魂のために、こんなに必死になっているのだろうか?と考えさせられました。
自転車に限らず、鍵や財布を無くすと、誰もが必死に探すと思います。では、自分の家族がいなくなったらどうでしょうか?大切な物が無くなった時なんて比べものにならないほどに、必死になって探さないでしょうか?あらゆる手段を使ってでも、見つけようとしないでしょうか?
「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」(ヨナ4:11)
主は、失われた魂を決して忘れることなんてありません。いつも思い、必死に探し、見つけようとしてくれています。私たちは、その主の心を知る必要があります。
私たちでさえ、無くした物を必死に探したりするのなら、主の心はどれほど必死なのでしょうか?失われた魂のためになら、命を投げ捨てたほどに必死なんです。そうであるなら主は、大切な子どもたちが地獄に行くのを、どれほど苦しい思いで見ているのでしょうか?
私は、あまりにも自分のことばかりだったことを悔い改めました。失われた魂に対して、もっと真剣になりたいです。主の心を知れば、何かをしたくてたまらないんです。
私のまず任せられている領域、私の家族の救い、そして、新宿の人々の救い、もっと切に祈り、みことばを絶えず宣言し、実際的に伝道することをますます踏み出そうと決心しました。
私たちは、自分の必要に目をとめる性質が誰でもあります。でも、自分に向かっている目を主に向けるなら、本来見なければいけないものが見えてきます。
「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)
■A:考えてみよう
・失われた魂に対して情熱はあるだろうか?
・家族や自分の関わる人々のため祈り、伝道しているだろうか?
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 おりえ 】
(自転車見つけました。)
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