■S:今日の聖書の言葉
アモス書9章11~14節
★その日、わたしはダビデの倒れている仮庵を起こし、その破れを繕い、その廃墟を復興し、昔の日のようにこれを建て直す。
これは彼らが、エドムの残りの者と、わたしの名がつけられたすべての国々を手に入れるためだ。・・これをなされる主の御告げ。・・
見よ。その日が来る。・・主の御告げ。・・その日には、耕す者が刈る者に近寄り、ぶどうを踏む者が種蒔く者に近寄る。山々は甘いぶどう酒をしたたらせ、すべての丘もこれを流す。
わたしは、わたしの民イスラエルの捕われ人を帰らせる。彼らは荒れた町々を建て直して住み、ぶどう畑を作って、そのぶどう酒を飲み、果樹園を作って、その実を食べる。
■O:今日のコラム
これは有名なアモスの預言です。この預言はダビデの幕屋の回復、異邦人が救われること、終末の激しいリバイバルについて書かれています。
畑を耕していると成長が早いので、すぐに収穫がやってきます。ぶどう踏みをしているとあまりの豊作にいつまでも終わらず、次の種蒔きがやってくるのです。これは激しいリバイバルを意味すると言えます。この預言から3つの回復が見てとれます。
1. 生ける神との親密な関係の回復
この預言が使徒15章でも取り上げられています。それはエルサレム会議といわれます。ここで話し合われたことは異邦人に割礼を受けさせるか、どうか?という論議でした。その時の結論がヤコブがこの預言を宣言することでした。
形式的な礼拝から、親密な生ける神との関係という礼拝の回復が伺えます。初代教会はダビデの幕屋の回復だったのです。それなのでこの宣言は会議に参加した皆を納得させるに十分だったのです。
ダビデの幕屋はいきなり至聖所。それは主との親密な関係を表しています。また主の臨在を愛する、喜びと賛美の礼拝なのです。
2.悔い改めの回復
ダビデの幕屋が建て直されると、神の慈愛が、深い悔い改めに人々を導いていきます。
破れとは、神の基準と世の基準のギャップといえるかもしれません(破れと訳されるヘブル語「ペレツ」にはギャップという意味があります)。
自らの生き方と御言葉との違い、そのギャップを悔い改めましょう。また更に、自分の関わる人々と神との間の破れに立って、そのギャップをとりなし祈るとき、破れは繕われていきます。イエス様の十字架とその血潮により頼みましょう。
3. 自分の十字架を成し遂げていくことの回復
廃墟の復興は、本来あるべき姿に回復することです。私たち個人において死と葬りと復活が繰り返されていくときそれは起こります(復興という語は、ヘブル語で「クム」であり多くの場合復活を指します)。
御言葉の剣で古い自分に死んで、それゆえに右の頬を叩かれてもやり返さず、葬られ続け、そして自分の十字架である果たすべき使命を果たして、栄光によみがえるとき、私たちは本来あるべき私たちを取り返すのです。十字架は回復のしるしなのです。
そのような回復がダビデの幕屋の回復によって起こされていき、終末の大いなる大収穫につながることを宣言します!
■A:考えてみよう
この3つの回復を求めよう。この3つの中で特に自分に何が求められているだろう?
■P:祈り
Aで自分が主に示されることの回復のために祈ってください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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