■S:今日の聖書の言葉
アモス書8章11~12節 (アモス書全体)
★見よ。その日が来る。ー神である主の御告げー
その日、わたしは、この地にききんを送る。パンのききんではない。水に渇くのでもない。実に、主のことばを聞くことのききんである。彼らは海から海へとさまよい歩き、北から東へと、主のことばを捜し求めて、行き巡る。しかしこれを見いだせない。
■O:今日のコラム
南ユダ出身であるアモスが、北イスラエルへの裁きを預言しました。アモス書全体を通して語られているのが、「裁き」についてです。
しかし、裁きそのものが神様の目的ではありません。裁きと懲らしめの先にある「回復・立ち返る」ことこそが、神様の願いであり目的です。
今日の聖書箇所で「その日」と出てきましたが、聖書の中で多くは「終わりの日」のことを指します。その日、が来る前に、イスラエルの民は神様に立ち返るべきでした。しかし、罪と堕落の中に居続けたイスラエルの民は、主のことばを捜し求めても見いだすことができず、最終的には滅んでしまいました(それだけに、次の9章で書かれている「ダビデの幕屋の回復」イスラエルに対する回復の預言は希望の光として輝きます!)。
「見よ。主の御手が短くて救えないのではない。その耳が遠くて、聞こえないのではない。あなたがたの咎が、あなたがたと、あなたがたの神との仕切りとなり、あなたがたの罪が御顔を隠させ、聞いてくださらないようにしたのだ。」(イザヤ59:1.2)
■A:考えてみよう
1.神様に対する間違ったイメージを捨てる。
神様は私を裁くためにいつも見張っている方、ではなく、愛に満ち溢れた回復の主!いつも良いお方であり、私が主に立ち返って本来の姿に回復すること、主の使命に生きることを願っておられる。
2.悔い改めて、立ち返る。
反省するのではなく(悔いるのではなく)、立ち返る。
私と主との仕切りとなっている手放すべき偶像、罪の習慣が具体的に示されるものがあれば手放す決心をする(罪の生活にとどまり続けると、神様の御声が聞けなくなり、最終的にはイスラエルの民のように滅んでしまう…)。
自分の方法ではなく、自分の良い悪いの基準ではなく、聖霊様の助けの中で「御言葉」によって悔い改める。悔い改めの生活を続ける中でも、私ではなく絶えずイエス様を見つめ、回復の御業である「十字架」に信頼する。
立ち返る日は今日です。悔い改めるべきは、他の誰かではなく私です。私たちにみことばが与えられている今、主の日が来る前に、日々悔い改めをもって神様の来られる備えをしたいと願います。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あい 】
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