■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書16章22節
★あなたがたにも、今は悲しみがあるが、わたしはもう一度あなたがたに会います。そうすれば、あなたがたの心は喜びに満たされます。そして、その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
■O:今日のコラム
主が再び来られることに勝る祝福、喜びはありません。これこそ私たちの待ち望んでいるもの、私たちの希望です。私たちの喜びは主にあります。
聖書は、「主にあって喜びなさい」と語っていますが、この主にある喜びが満ち満ちたものになるために、自分たちはどうしたらよいのでしょうか?この直前の15章ではこうありました。
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネ15:9-11)
主にある喜びが満たされるためには、私たちはイエス様が私を愛してくださったように人を兄弟を愛することが、私たちのライフスタイルになっている必要があります。自分の中だけでなく、神の家族の中に、主からの良きものが分かち合われるときに、5000人の給食のときにパンがどんどん増えていったように喜びが増し加わって満ち溢れていくことを信じます。
喜びに満たされるためにもう一つ大切なことは、主を知らない人々にも、この良きものが分かち合われることです。
「涙とともに種を蒔く者は、喜び叫びながら刈り取ろう。種入れをかかえ、泣きながら出て行く者は、束をかかえ、喜び叫びながら帰って来る。」(詩篇126:5-6)
この二つは主の再臨を近づけるとも言えます。またこの満ち満ちた喜びのためには、涙を通らなければならないことも事実です。イエス様こそ涙とともに種を蒔かれた方なのです。
また兄弟が愛し合うことの中にも、涙を流し、忍耐し、とりなすプロセスが用意されているのです。それでも私たちはこの栄えに満ちた喜びに向かって前進していきましょう!
私たちは、愛されて、愛するために生まれたのです。私たちは、主の御前で喜び踊る花嫁として召されているのです。
■A:考えてみよう
「わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:12)
を口ずさみましょう!私は毎日この戒めを口ずさみ、思い巡らしています。時が来ると実がなるのです!感謝します!
■P:祈り
「もし、あなたがたがわたしの戒めを守るなら、あなたがたはわたしの愛にとどまるのです。それは、わたしがわたしの父の戒めを守って、わたしの父の愛の中にとどまっているのと同じです。
わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合うこと、これがわたしの戒めです。」(ヨハネ15:10-12)
この御言葉が心の板に刻まれ、この成就を見ることができますように。そうなることを感謝します!
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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