■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書15章9節
★父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛しました。わたしの愛の中にとどまりなさい。
■O:今日のコラム
ヨハネの福音書15章では、10回も繰り返して使われている言葉があります。それは「とどまりなさい」です。
「とどまる」の一般的な意味は、「滞在する、泊まる、宿泊する、いっしょにいる」という意味です。しかし、ここで言っている「とどまる」の意味は、滞在する、泊まるというような一時的な意味ではなく、永続的なものを言っています。
イエス様の愛の中にとどまるとはどのようなイメージでしょうか。毎週礼拝に来ること、熱心に奉仕をすること、主のために何かを行うこと…それらは本当に大切なことですが、それだけではとどまることはできません。
とどまるとは、一時的なものではなく、「毎日」の歩みであり「継続的」なものです。「いつも」主とともに過ごし、「毎日」主との親密な生きた交わりを持つことです。
それは、イエス様が天の父の愛にとどまっているのと同じだとあります(ヨハネ15:10b)。イエス様が天の父の愛の中にとどまり父と一つであるように、私たちもイエス様の愛の中にとどまりイエス様と一つとなるのです。
なぜ、こんなにも、主は「とどまりなさい」と私たちを招いてくださっているのでしょうか。そのあとに続くみことばに理由があります。
「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにあり、あなたがたの喜びが満たされるためです。」(ヨハネ15:11)
私たちの喜びが満たされるためです。
神様は創造のとき、エデンの園を造られました。エデンは「喜び」「楽しみ」という意味です。神様が本来人間のために造られたものは、美しく、完全な、良いものでした。しかし、サタンがエバを誘惑して、良い世界を壊しました。人間から喜びを奪ったのです。
私たちは毎日、心配、不安、恐れ、悩み、思い煩いの世界の中にとどまってはいないでしょうか。もしそうであるならば、私たちはとどまる場所を変えなければなりません。それは、イエス様の愛の中です。イエス様のふところの中で、「喜び」と「楽しみ」の家、エデンへと私たちの住まいは移されます。
私にそれを受ける価値は決してありませんが、イエス様が成し遂げられた十字架の御業への信仰によって、主の愛の招きに応答できる恵みに心から感謝します。
ヨハネの福音書のメッセージは、神様との親しい、豊かな交わりを通して、私たちが「いのちを得る」ことです。その「いのち」は、私たちのうちの壊れたエデンを建て直します。
本来、私たちは喜びに満たされて生きる者として造られました。また、神様が最初に造られた共同体である家族は、この地において喜びの家庭として回復しなければなりません。
絶えずイエス様の愛の中にとどまり続け、主の喜びの家に住まう者となりましょう。皆様の上に、皆様のご家族の上に、教会の上に、エデンが回復しますように心からお祈りいたします。
■A:考えてみよう
一時的ではなく、毎日イエス様の愛の中にとどまること、また、みことばの中に生きることを主の前に決心しましょう。
「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住まうことを。」(詩篇27:4a)
■P:祈り
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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