■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書7章16節
★そこでイエスは彼らに答えて言われた。「わたしの教えは、わたしのものではなく、わたしを遣わした方のものです。
18節
★自分から語る者は、自分の栄光を求めます。しかし自分を遣わした方の栄光を求める者は真実であり、その人には不正がありません。
28b-29節
★…わたしは自分で来たのではありません。わたしを遣わした方は真実です。わたしはその方を知っています。なぜなら、わたしはその方から出たのであり、その方がわたしを遣わしたからです。」
■O:今日のコラム
クリスチャンになって幸せになれる、平安になれる、と思ったのに、あれ、日々戦いがある?と感じることがあります。もちろん、私たちは、霊的な戦いの中にあり、敵である悪魔や、もろもろの悪霊、霊的な勢力と戦っています(エペソ6:12)。
しかし、もう一つ、少し別の次元の戦いもあります。それは、自分の肉と、内なる御霊との戦いです。肉は、私たちの生まれつきの性質で、自分中心です。一方、内住の御霊は、御霊を遣わした父なる神、イエス様の栄光を求めます。
うちの近所に幼稚園に行き始めた小さい女の子たちがいますが、彼らの肉の戦いはとてもわかりやすく単純です。我が家の玄関先をステージにして運動会で踊るダンス付きの歌を歌いながら踊り始めましたが、誰がセンターになるか(笑)、押しのけ合って、自分が真ん中になろうとします。そしてけんかします。
だれが最初に幼稚園バスに乗るか、だれが一番可愛いおもちゃを取るか、自己中心がはっきりしてるので、とてもわかりやすいです。クリスチャンの場合は、もうちょっと複雑です。
だれもが、自分は主のためにやっている、教会のために行っている、これが正しい、と思って言っているので、自分でも、それが自分の肉だとか、自己中心だとか気づかず、自分は御霊の人で、相手こそ肉的だ、と思ってしまったりします。
だから、主の憐れみが必要です。日々日々、「主よ、『私の』目の梁を取り除いてください!」「『私の』顔のおおいを取り除いてください。」「『私の』耳を開いて命を与える主の御声を聞けるようにしてください。」と祈り続けることが必要です。
確かなことは、実で見分けるということでしょう。肉の働きがあれば、敵意や争い、憤りや分裂、ねたみ、などなどが起こります。逆に、御霊につながり続けると、喜び、平安、寛容、忠実さ、信仰深さ、柔和、御霊による自制、などなど、御霊の実が結ばれていきます(ガラテヤ5:19-23)。
「もし互いにかみ合ったり、食い合ったりしているなら、お互いの間で滅ぼされてしまいます。気をつけなさい。」(ガラテヤ5:15)
自分では、「家族に対して(教会のあの兄弟、姉妹に対して)、『ちょっとイラだっている』だけ」と思っていても、霊的な目で見ると、大切な家族に噛みついていることがあり得るという事実に、私たちは恐れをもって悔い改めていく必要があります。
真理の御霊なる聖霊様が、憐れみと忍耐をもって、啓示の光を私たちの心に照らしてくださり、私たちの心の目を開き、家族や兄弟姉妹を、裁いたり、拒絶したり、見下したりしていないか、彼らに対して怒っていないか、示してくださり、もし、そうしているなら、それを急いで悔い改めることができるように、助けてくださるよう、祈っていきましょう。
■A:考えてみよう
・私は御霊に満たされ導かれているだろうか。それとも、肉に従って歩んでしまっているだろうか。
・御霊を遣わした方、父なる神、イエス様の栄光を求めているだろうか。それとも、自分自身とか、自分の所属するミニストリー、自分の教会の栄光を求めているだろうか。
・他の人の祝福、他の教会の祝福を、心から喜べるほど、神様の愛、神様への感謝で満たされているだろうか。
・御霊の実は結ばれているだろうか。自分自身の中に、自分が仕えている人々の中に、自分が関わる人々の間に、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、誠実、柔和、自制が結ばれているだろうか。それとも、自分自身の中に、不品行、汚れ、好色、偶像礼拝、魔術、敵意、争い、そねみ、憤り、党派心、分裂、分派、ねたみ、酩酊、遊興などがあるだろうか。
■P:祈り
イエス様、御父があなたを遣わされたように、あなたが私たちをも遣わしてくださってありがとうございます。また、私たちの中に、父からの御霊を遣わしてくださってありがとうございます。
私たちが、御父と御子の栄光を求め、御霊に満たされ、導かれて歩むことができるように今日も助けてください。
私たちが御霊に導かれて歩む中に、御霊の実、いのちの木の実が結ばれていきますように。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 とも子 】
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