■S:今日の聖書の言葉
ヨハネの福音書2章4~7節
★すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」
母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」
さて、そこには、ユダヤ人のきよめのしきたりによって、それぞれ八十リットルから百二十リットル入りの石の水がめが六つ置いてあった。イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。
■O:今日のコラム
イスラエルに与えられた最も大切な戒めは、「シャマ」と言われる旧約の第一の戒めです。それは、「聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただ一人である。心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」という申命記の御言葉です。
神を愛することは、聞き従うことであり、それは聞くことから始まります。ベタニヤのマリヤも「どうしても必要なことはただ一つです」とイエス様が言われる「主の足元で御言葉を聞き入る」ことを選び取り褒められました。
私たちの聞く耳が祝福されますように。持っている者はさらに与えられ、持たない者は持っているものまでも取り上げられるのは、聞く耳を指しています。
聞く耳とは、自分のために知識を蓄えるための耳ではありません。聞く耳とは、神のために聞き従って、神をもっと愛したいと願う耳なのです。
そのためには、心の割礼、耳の割礼が必要です。つまり悔い改めることです。自分の欲望のために生きることに死に、神のために生きることを喜ぶ者に生まれ変わる、神の恵みと力を体験していくことは重要です。
このヨハネの福音書2章4~7節のやりとりは、聞く耳のことをよく表している箇所だと思います。母マリヤはイエス様に期待し、ぶどう酒がないことを伝えました。しかしイエス様は「まだ私の時ではないのです」とおっしゃいました。つまり断ったのです。母マリヤは食い下がります。イエス様が言われるなら何でもする、という心構えを持っていたのです。その2節後には「イエスは彼らに言われた」と御言葉をお与えになりました。「4節で断ったのは何だったの!?」と思うかもしれません。
一つ言えることは、主は従おうという心構えを持つ者に語らずにいられないということです。
■A:考えてみよう
勉強のためではなく、聞き従って主をもっと愛するために、祈り、御言葉を朗読しよう。
■P:祈り
主よ。あなたをもっと知り、あなたをもっと愛するために知恵と啓示の御霊を注いでください。そして私の聞く耳を開いてください。あなたの口の言葉に聞き従い、あなたを愛します。何をして欲しいですか?何を願っておられますか?
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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