■S:今日の聖書の言葉
ダニエル書3章25節

★すると王は言った。「だが、私には、火の中をなわを解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」

■O:今日のコラム
3人は燃える火の炉に投げ込まれることからは救われませんでしたが、燃える火の炉の中で救われました。ここから、モーセが見た柴を思い出します。

「すると主の使いが彼に、現れた。柴の中の火の炎の中であった。よく見ると、火で燃えていたのに柴は焼け尽きなかった。」(出エジプト3:2)

この柴のように彼らは焼け尽きなかったんです。

この火の炉というのは、試練に例えることができます。試練というのは、人間の目からは火の炉の中に投げ込まれ、辛い、苦しい、悲しいものに見えます。私たちは、その試練からは逃れることができません。この試練という火の炉に投げ込まれることからは救われないでしょう。しかしこの試練という火の炉の中で、私たちは救われるのです。

私たちが試練に会うとき、神様に祈ると思うんです。「どうか、この試練を乗り越えることが出来ますように。私をここから救い出してださい!」

神様は、私たちを救うことが出来ます。また救う方です。しかし、どのように助けてくださるのか、どのタイミングで助けてくださるのか、私たちの考える形で助けてくださるのか、それは分かりません。ただ言えることは、私たちを救うことの出来る、助け出すことの出来る神様であるということです。

私たち人間が考えるのは、炉の中に投げ込まれる前に神様が助けてくださるのが本当の助けだと思ってしまいがちです。炉に投げ込まれたら、もう溶けてしまって、終わりじゃないですか!って思ってしまいます。しかしここでは、彼らは実際に投げ込まれてしまいました。しかし、結果的に神様は彼らを救い出されたんです。

彼らは偶像を拝みませんでした。不利な環境、不利な立場に置かれても、私の神様は私を助けてくださるお方だという信仰がありました。私たちは、炉の中に投げ込まれてしまったらおしまいだと思ってしまいますが、しかし、死からよみがえられたイエス様は、私たちに語られるではありませんか。ですから、死んでおしまいではないんです。

イエス様を例にして、死んでおしまいではないんです。このお方に自分を預けたら、神様は必ず最善な道へと導いてくださいます。神様は私たちにとってどうでもいいようなことをするようなお方ではないということを覚えましょう。このお方が私たちの神様であることを感謝します。

「あなたが水の中を過ぎるときも、わたしはあなたとともにおり、川を渡るときも、あなたは押し流されない。火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。」(イザヤ43:2)

この約束を受け取ります!

■A:考えてみよう
試練の時だからこそ、火の炉の中で救われることを信じ、神様に委ねていきましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 てる 】

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