■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第二5章15~17節(伝道者の書5章)

★また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。

■O:今日のコラム
主が私たちのために死なれたのは、私たちが主のために生きるようになるためでした。
 私たちは、実は自分のために生きるために存在しているのではありません。TVは、誰のために存在しているでしょうか?車は誰のために存在しているでしょうか?人が作った物は、作った人間のために存在しています。私たちが被造物であることを認めるでしょうか?であるならば創ってくださった方のために存在しているのは当たり前なのです。
 主がひどい主人であるならば、それは受け入れがたいことですが、主はご自身がいのちを捨てるほどの愛を示されることで、私たちにもその愛に生きるようにへりくだって招いておられます。
 そうはいっても、私たちには、主のために生きる力を生まれつきにはもっていません。古い人に死んで、新しく生まれ変わる必要があります。人は新しく生まれなければ神の国に入れないのです。
 日々悔い改めて、神を愛さない自分を十字架に打ち付け、キリストの内にとどまっているならばそこには新しい創造があるのです。(聖書に別訳がついていますが、原語ではこちらの別訳が近いように思います)
 愛なる方との交わり、つながりの中でのみ、私たちは愛によって、神の力によって、生まれ変わり続けるのです。
 怒ってしまう私、ねたんでしまう私、心配し恐れる私。それは本来の神の創造しようとした私ではないのです。あるべき姿、本来の私を取り戻すのです。神を愛し、神のために生きる私を。
 神は私たちのためにいのちを捧げて、私たちを愛し続けておられます。私たちを喜んでくださっています。だから私たちは、この方にいのちを捧げて、この方を愛し続けるのです。この方を喜び続けるのです。

■A:考えてみよう
今日もイエス様の十字架の前に進み出て、その血の贖いを受取ろう。古い自分を十字架に打ち付け、悔い改めて、神のあわれみにすがろう。そして自分のために生きるのではなく、自分の主人であるイエス様、自分の所有者であり、創り主であり愛してくださる方のために生きよう。 

■P:祈り
自分のためにではなく、あなたのために生きます。その中にある味わいと喜びを増し加えてください。あなたのいのちをかけるほどの大きな愛を感謝します。私もあなたを愛します。私はあなたのものです。あなたこそ私の最愛の主人です。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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