■S:今日の聖書の言葉
コリント人への手紙第3章6節
★神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。
■O:今日のコラム
イスラエルの文化や歴史とは関係が希薄な私たち日本人にとって、新約聖書の方が馴染みやすい、しかし旧約は…??という方がいるかもしれません。私自身がそうでした。信仰を持ってから過去10年間、旧約聖書をどのように捉えて自分に適用し糧とするのかということについて理解が乏しかったため、今日の箇所を根拠にして、旧約の「文字」よりも、新約のみことば、御霊こそがより重要なのだと誤った解釈をしていました。
律法は、アブラハムの約束、祝福にあずかる神の子とされた私たちが、その約束通り御父の相続を受けるためのガイド、養育係となるものであります。(ガラテヤ3:24)
また、
「律法は、もし次のことを知っていて正しく用いるならば、良いものです。すなわち、律法は、正しい人のためにあるのではなく、律法を無視する不従順な者、不敬虔な罪人、汚らわしい俗物、父や母を殺す者、人を殺す者、不品行な者、男色をする者、人を誘拐する者、うそをつく者、偽証をする者などのため、またそのほか健全な教えにそむく事のためにあるのです。」(1テモテ1:8~10)
イスラエルの人々は、モーセの顔から放たれる光に恐れを抱き、おおいをかけました。死ぬことを恐れたからです。
救いの達成に至る過程にある私たちの中にも、死ぬことを拒む罪の性質、自己中心が依然としてありますが、それらはみことばに照らし出されると死に渡されてしまうので、そうならないよう、みことばにまた自分自身におおいをかけようとします。
このみことばの働きを妨げるおおいを取り除くのは、キリストご自身です。イエス・キリストが私の罪の代価として、十字架の上で腰の覆いもなく恥をさらけ出して父なる神の御前にあらわになってくださいました。それゆえ、イエス・キリストがかかられた十字架の下で血潮を受ける時、私たちは自分の力では決して手放せなかった罪や悪習慣から自由にされ、誰にも言えず持ち続けてきた傷や恥の思い、罪責感をありのまま天の父に申し上げ癒しを受け取ることができるのです。
確かに律法は、私たちの罪の性質、古き人に対して「死の務め」、「罪に定める務め」を果たします。しかしキリストとともに死に葬られることを日々選択していくならば、その後にはさらに栄光に満ちた「御霊の務め」「義とする務め」を成します。
「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(エペソ4:22~24)
今日も、十字架に自分の古き人がキリストとともにかけられ、御霊によって新しい人となることを告白し宣言しましょう。
■A:考えてみよう
・律法の「死の務め」に対して自分の心はどのように感じるでしょうか、受け入れやすい心またはかたくなな心でしょうか。
・すべてのおおいが取りのけられるために父なる神様がしてくださったことは何ですか。
・新しい契約とは何のことですか、またそれはどこに書かれるものでしょうか。
■P:祈り
私たちがみことばによって洗われ、御霊によって鏡のように主の栄光を反映することができるよう祈りましょう。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ぺい 】
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