■S:今日の聖書の言葉
ルカ23章18節,26節
★しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。「この人を除け。バラバを釈放しろ。」
★彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を負わせてイエスのうしろから運ばせた。
■O:今日のコラム
「しかし彼らは、声をそろえて叫んだ。『この人を除け。バラバを釈放しろ。』」(18節) そして「ついにその声が勝」(23節)ち、ピラトは、「暴動と人殺しのかどで牢に入っていた男を願いどおりに釈放し、イエスを彼らに引き渡して好きなようにさせた。」(25節)
この箇所を読んだ時、旧約聖書の一つの箇所を思い出しました。
「祭司はそのきよめられる者のために、二羽の生きているきよい小鳥と、杉の木と緋色の撚り糸とヒソプを取り寄せるよう命じる。
祭司は、土の器に入れた湧き水の上で、その小鳥のうちの一羽をほふるよう命じる。
生きている小鳥を、杉の木と緋色の撚り糸とヒソプといっしょに取り、湧き水の上でほふった小鳥の血の中に、その生きている小鳥といっしょにそれらを浸す。
それを、ツァラアトからきよめられる者の上に七たび振りかけて、彼をきよいと宣言し、さらにその生きている小鳥を野に放す。」(レビ記14章4-7節)
イエス様が十字架につけられ、バラバは釈放されました。一羽の小鳥はほふられ、もう一羽の小鳥は野に放されました。イエス様が十字架につけられ、私は赦され、自由にされました。
バラバが釈放されて、その後、自由に好きなところに行って、好きなことをしたように、ほふられなかった小鳥が野に放されて自由に飛んで行ったように、私は自由を与えられました。
もはや罪の奴隷ではなく、律法の奴隷でもなく、人の奴隷でもありません。私は自由です。なんという恵みでしょう。なんという感謝でしょうか。この自由をもって、心から、主を、人々を愛したいです。
罰が恐ろしいから主に仕えるのではなく、主人の喜びをともに喜ぶ恵みに預かりたいので、主に仕えること、御言葉に従うこと、御霊に導かれること、主に忠実になること、主を愛することをあえて、選んでいきたいです。
「兄弟たち。あなたがたは、自由を与えられるために召されたのです。ただ、その自由を肉の働く機会としないで、愛をもって互いに仕えなさい。」(ガラテヤ5:13)
■A:考えてみよう
少し前のデボーション箇所で、十人のツァラアトに冒された人がいやされ、一人だけが、大声で神を誉めたたえながら引き返して来た、という箇所がありました。
私たちにはいやされたまま行ってしまう自由も、神をあがめるために戻って来る自由もあります。私は、自分の自由を使って、引き返して来て、感謝を捧げることを選びたいです。私はバラバのように赦され釈放されました。
あえて、その自由をもって、クレネ人シモンのように十字架を負って、イエス様のうしろから運ばせていただきたいです。
■P:祈り
イエス様の十字架によって、自由にされたことを感謝します。自分の心のおもむくまま、羽のおもむくままに生きる自由もありますが、あえて、今日、主のもとに舞い戻り、主の御霊に導かれ、信仰から出ていることを選びたいです。
どうぞ今日、十字架によって肉に死に、御霊に導かれて歩む恵みを与えてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 とも子 】
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