■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書21章5,6節(箴言21章)

『 宮がすばらしい石や奉納物で飾ってあると話していた人々があった。するとイエスはこう言われた。
「あなたがたの見ているこれらの物について言えば、石がくずされずに積まれたまま残ることのない日がやって来ます。」』

■O:今日のコラム
今日の箇所に出て来るこの会話。マタイの福音書、マルコの福音書でも記されていますが、ここで話題になっている神殿はヘロデ王が建てた豪華絢爛な神殿で、人の目を引くものであったことが分かります。
イエス様の預言の通りに、この見事な神殿は後に跡形も無いほどに破壊されることとなります。

みことばには

「人の心に永遠への思いを与えられた。」

(伝道者の書3:11)とあるように、主が私たちに「永遠」への思いを与えて下さったことを感謝します。
私たちのこの地上での歩みが、また教会の中で行われるすべての働きが、果たして永遠へと繋がるものであるのか、それともこの地上で壊れて終わるものなのかを今一度思い巡らしてみたいと思います。
どれほど立派な歩みも、どれほどに麗しいと思われる働きも、主の御心から外れているならば、天に積み上げることはなく、この地上で朽ちていくこと、また永遠のいのちとは何の関わりもないことを、この神殿に対するイエス様のみことばから知ることが出来ます。
どのようにしたら御心から外れずに生きて行くことが出来るでしょうか。

ヨハネの福音書には

「その永遠のいのちとは、彼らが唯一のまことの神であるあなたと、あなたの遣わされたイエス・キリストとを知ることです。」

(ヨハネ17:3)とあります。
『永遠のいのちとは、イエス・キリストを知ることである』と書かれています。この「知る」とはまさに「アダムがエバを知った」ことと同じ意味合いの「知る」であります。

つまり私たちがイエス様ご自身であるみことばを「知り」、みことばを愛し、みことばを守り行う者、みことばに生きる者となることが、永遠のいのちです。

この地上で、いずれは朽ちてしまうものに、私たちは人生の時間や経済を費やしたくはありません。永遠のいのちに繋がるものにすべてをかけて生きていきたいと願わないでしょうか?

「神に喜ばれている」と信じて進んでいる人生も、働きも、時にズレてしまうことがあります。ズレ始めであれば軌道修正は簡単ですが、時間が経つと、そのズレは大きく、修正も大変なものになるでしょう。まして、そのズレに神の御前に立った時に気づくなんてことは絶対に嫌です。
ですから私たちは日々の点検が必要です。みことばを読み、今の自分の歩み、心の態度、信仰が果たして神の御心からズレていないのか否かを点検したいと願います。
私たちの内の罪の性質が衰え、キリストの性質が私たちの内に生きるならば、
また私たちの生き方が、『みことばそのもの』になるならば、私たちは永遠へと続く神の御心の真ん中を進むことが出来るでしょう。

■A:考えてみよう
日々、みことばに生きるためには、みことばを知らなくてはなりません。ただ、みことばを読むことを超えて、自分自身の歩みがみことばそのものになっていくことが出来るように、みことばに生きる者となることが出来るように、そのような願いを持ってみことばを読む習慣を身につけましょう。

■P:祈り
主よ、神御自身であるみことばを、下さってありがとうございます。アダムがエバを知ったように、そのように、みことばを知っていくことができますように。私が朽ちていくもの、永遠へと繋がらないものに、この人生を費やすことがないように、いつも私のうちに永遠への思いを与えて下さい。私の歩み、働き、心の態度が少しでも御心からズレているのなら、少しでもあなたを悲しませているのなら、みことばを通してどうか気付きを与えて下さい。今日も知恵と啓示の御霊を歓迎し、イエス様の御名により祈ります。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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