■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書10章42節
★「しかし、どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。マリヤはその良いほうを選んだのです。彼女からそれを取り上げてはいけません。」
■O:今日のコラム
今日の箇所は、マリヤとマルタの有名な話です。主の足もとで御言葉に聞き入っていたマリヤを見て、マルタは主に「主よ、あなたはなんとも思わないのですか!」と怒りました。
どうしてマルタは怒ったのでしょうか?このマルタの姿を通して、もう一人の人物が思い浮かびました。創世記に出てくる、アベルの兄、カインです。
「だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。そこで、主は、カインに仰せられた。『なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。
あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。』」(創世記4:5-7)
このマルタとカインを通して、神様は私のうちにある「孤児の心」に気づかせてくださいました。
■A:考えてみよう
イエス様は「どうしても必要なことはわずかです、いや一つだけです。」と言われました。イエス様が喜ばれた、マリヤがしたことは「神の言葉であるイエス様から離れなかった」ことでした。
⑴ 孤児の心を主に明け渡す
何かをしなければ認められない、評価を受けるために頑張る、そのような「孤児の心」が私の心のどこかにありはしないか?今日、そのような心が自分のうちにないか、チェックし神様の前に明け渡しましょう。
⑵ 御言葉から離れない
マルタは、イエス様に聞くよりも先に、自分で考えておもてなしの準備をバタバタと始めました。また、カインは「地の作物」を主の御前に捧げました。この作物、とは「自分の努力」「自分の捧げたいもの」を象徴しているということを以前に学びました。
なぜ、主のために捧げているのにも関わらず、怒りがあるのでしょうか。それは、主に捧げたい!という情熱があっても、自分勝手な、自己満足な、主に押し付けるような自分の捧げたい捧げ物をしているからかもしれません。自分が中心になっているからです。
主を愛するとは戒めを守ることです。主を愛することは、自分ではなく、絶えず御言葉が中心となることです。主を愛するには御言葉に聞き、御言葉を知らなければなりません。
「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」(ヨハネ14:15)
「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください。」(マタイ6:11)
「彼女にマリヤという妹がいたが、主の足もとにすわって、みことばに聞き入っていた。」(ルカ10:39)
「愛する兄弟たち。あなたがたはそのことを知っているのです。しかし、だれでも、聞くには早く、語るにはおそく、怒るにはおそいようにしなさい。」(ヤコブ1:19)
主のそばにとどまり、主の完全な愛によって私のうちにある孤児の心が取り去られますように。そして、みことばに聞き入っていたマリヤのように、主の声を聞くのに早い者となれますように。
私の捧げたい捧げものではなく、御言葉なるイエス様から離れずに、今日主が語りかけてくださる語りかけに、レーマに従い、生きていくことができますように。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あい 】
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