■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書14章24節

★言っておくが、 あの招待されていた人たちの中で、 私の食事を味わう者は、 ひとりもいないのです。

■O:今日のコラム
私の得意料理はお好み焼きです。多くの方が「こんな美味しいお好み焼き、食べたことがない!」と言ってくださいます。自分でもそう思います(笑) ですので、うちにご招待した人は、招かれたことよりも「お好み焼きが食べられる!」と、招待されたことよりも食事を喜んでくださいます。

イエス様は今日の通読箇所の中で、宴会のたとえを話されています。ときは安息日。律法学者の家に招かれたイエス様と弟子たちと食卓を囲むパリサイ派の指導者たちがここでの登場人物です。15節以降、食卓についている客のひとりがこのように言います。

「イエスといっしょに食卓に着いていた客のひとりはこれを聞いて、 イエスに、 「神の国で食事する人は、 何と幸いなことでしょう」と言った。」(15節)

するとイエス様はこの事に直接答えられることをせず、たとえで話を始められます。その内容は、招かれた人が仕事や自分の生活のために誘いを断ったというものです。18節には「みな同じように断りはじめた」とあるので、全員何かしらの理由をつけて断ったことが考えられます。

たとえの中でしもべはこの事を主人に告げると、主人はこのように答えます。

「しもべは帰って、 このことを主人に報告した。 すると、 おこった主人は、 そのしもべに言った。 『急いで町の大通りや路地に出て行って、 貧しい者や、 からだの不自由な者や、 盲人や、 足のなえた者たちをここに連れて来なさい。 』 」(21節)

この出来事を読む時、私たちは実際の出来事と同時に、霊的な目をもってたとえを見ていく必要があります。この14章全体で、イエス様は食事のことを語りながら、その中では高ぶる心とへりくだる心を言わんとされています。つまり、イエス様は私たちの内なる人に関して言及されているのです。

パリサイ派の指導者たちに対し、イエス様は今日のみことばの箇所を語られます。

「言っておくが、 あの招待されていた人たちの中で、 私の食事を味わう者は、 ひとりもいないのです。」(24節)

パリサイ派といえば、誰よりもみことばを愛し、それを守ることにいのちをかけている人たちです。そのような人が「食事を味わう者はひとりもいない」とは悲しいことです。どうしてでしょうか。それは、彼らの中にある高ぶりからです。

私たちの中に高ぶる心があるなら、食事は目の前にあるにも関わらず、それを味わうことができません。この事は、種蒔きのたとえの中でも語られています。道端、岩地、いばら、そして良い地に蒔かれた種は、良い地に蒔かれた種だけが実を結ぶことができます。

良い地とは良い心の態度、種とはみことばです。誰でも「このみことばは間違っているに違いない!」という疑いの心の態度でみことばを読むなら、みことばの種は実を結ばないでしょう。みことばは絶対的な権威があります。みことばに絶対に間違いはありません。唯一みことばのみが正しいものであります。

では、その間違いないみことばを私たちが受け入れることが出来ない時があるのはなぜでしょうか。それこそが私たちの内にある高ぶりからくるものです。「みことばよりも自分の方が正しい」「みことばはそう言うけど、今は自分のことを優先したい」このような態度は、みことばを第一にできていない生活です。

自分よりもみことば。これが心の貧しい者、みことばに飢え乾いている者の生き方です。イエス様はそのような人を招いておられます。もし、「私はみことばに従順することができない」と思っておられる方がいらっしゃるなら、その方こそイエス様に招かれた者であることを感謝しましょう。

■A:考えてみよう
自分のみことばと向き合うときの心の態度は正しいだろうか。良い心でみことばに向き合っているだろうか。日々の生活の中で、みことばが後回しになっていないだろうか。

このたとえのあと、イエス様はこのように語られています。

「自分の十字架を負ってわたしについて来ない者は、 わたしの弟子になることはできません。 」(27節)

イエス様の本当の弟子になるには、放棄しなければならないものがあると言うことを知らなければなりません。それは一時的な喪失感をもたらすかもしれませんが、それに変えて永遠の喜びというものを得ることができます。

自分のことを優先してしまうこと、これは神に対する高ぶりであり、不従順へとつながります。

「また、 彼らが神を知ろうとしたがらないので、 神は彼らを良くない思いに引き渡され、 そのため彼らは、 してはならないことをするようになりました。」(ローマ1:28)

神を知りたがらない、すなわちみことばを知りたがらないという思いが私たちをしてはならないことに導いていってしまいます。

「あなたのみことばは、 私の足のともしび、私の道の光です。」(詩篇119:105)

みことばこそが私たちを義の道へと導き、緑の牧場に伏させてくださり、まことの安息を与えてくれます。みことばに従うことができるよう、日々悔い改め、キリストの弟子として歩んでいきましょう。

■P:祈り
愛する天のお父さん、わたしにみことばを与えてくださっていることを感謝します。私はいつもあなたに飢え乾いています。心の貧しいものです。このような私を主ご自身が名前を呼んで召してくださっていることを感謝します。
このような考えられないほどの恵みに預かっているにも関わらず、私は恵みを放縦に変えて、感謝の心を忘れ、みことばの価値を低くしていたことを告白します。
私の人生での最優先事項は自分のことではなく、あなたのみことばに聞き、従い、これを愛することです。みことばを愛することとは神である主を愛することです。
私の心をいつも貧しい者として、「あなたのみことばが無ければ私は呼吸することすらできない」というほどにみことばに信頼するものとして造り変えてください。
そして、天の御国で主ご自身が私のために整えてくださる食事を心から味わうことができるよう、この地上で私を整えてください。
愛するイエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【 しゅん 】

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