■S:今日の聖書の言葉
ルカの福音書11章5〜10節
★また、イエスはこう言われた。「あなたがたのうち、だれかに友だちがいるとして、真夜中にその人のところに行き、『君。パンを三つ貸してくれ。
友人が旅の途中、私のうちへ来たのだが、出してやるものがないのだ』と言ったとします。
すると、彼は家の中からこう答えます。『めんどうをかけないでくれ。もう戸締まりもしてしまったし、子どもたちも私も寝ている。起きて、何かをやることはできない。』
あなたがたに言いますが、彼は友だちだからということで起きて何かを与えることはしないにしても、あくまで頼み続けるなら、そのためには起き上がって、必要な物を与えるでしょう。
わたしは、あなたがたに言います。求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。
だれであっても、求める者は受け、捜す者は見つけ出し、たたく者には開かれます。
■O:今日のコラム
あくまで求めるなら、とありますが、これはギリシャ語では厚かましく、という意味の語です。私たちは、慎みを大切にするべきですが、このことにおいては厚かましいことが良いというものがあります。それは真理を求めることにおいてです。
それは、(真理の)御霊であり、(真理の)御言葉であり、私たちの従順な歩み(真理を歩むのだと、第二ヨハネで言っています)なのです。神の国は、激しく求める者が奪い取っているのです。
ここで友からパンを厚かましく求めることが教えられていますが、それは友なるイエス様から御言葉のパンをいただくことを示しています。また続く13節には、父はどうして求める者たちに御霊をお与えにならないでしょうか、と御霊を求めることが示されています。
求め、探し、叩くのは、真理を求めてなのです。事を隠すのは神の誉れ、事を探すのは王の誉れです。主は私たちが真理を激しく求めることを喜んでおられます。
聖書では、「目つきが悪い者」という表現がされますが、それは世の中のものを貪欲に求める者のことを指しています。では逆に「目つきが良い者」とはどのような者なのでしょう?それは、主ご自身に貪欲であり、御言葉に貪欲であり、語られた御言葉に従順することに貪欲な者なのです。
私たちは、この3つに貪欲な者、激しく飢え渇く者とますますなっていきましょう。それは、私たちを栄光から栄光へと造り変えていきます。
「からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。」(マタイ6:22~23)
■A:考えてみよう
御霊を激しく求め、叫び祈る時を持ちましょう!それは、家では難しいでしょう。教会に行きましょう。そしてむさぼるように御言葉を朗読しましょう!
そして、最も重要なことは、聞いた御言葉をしっかり握り、従順することに飢え渇くことです。それこそ神を愛するということです。神を愛するとは、神の命令を守ることだからです。
■P:祈り
主よ。私に新しく、真理に対する激しい飢え渇きを与えてください。すでに与えられている恵みに応えて、御霊を激しく求めさせてください。御言葉を朗読させてください。
知恵と啓示の御霊によって神を知ることができますように。また従順に対する飢え渇きをさらに与えてください。
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 まじまこ 】
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