■S:今日の聖書の言葉
箴言4章1節

★子どもらよ。父の訓戒に聞き従い、悟りを得るように心がけよ。

■O:今日のコラム
訓戒とは、トレーニングのことです。それは新約聖書で言うところの「父の懲らしめ」とも言えます。御言葉を聞き、困難や試練があってもそれに従って生きるときに、私たちは悟りを得るのだと聖書は語っています。これは信仰の歩みの形とも言えます。

「信仰は聞くことから」(ローマ10:17)であるが「信仰は行いによって全うされる」(ヤコブ2:22)のです。こうして信仰の歩み、聞き従う歩みをするならば、私たちは、日々、栄光から栄光へと造り変えられ、今の信仰から更に深い信仰へ、勝利から勝利へと進んでいけることを信じます。

ここでは、それを悟りを得るという表現をしています。他の聖書箇所で悟りを得ることに関して詩篇では、こう書いてあります。

「みことばの戸が開くと、光が差し込み、わきまえのない者に悟りを与えます。」(詩篇119:130)

御言葉から啓示が与えられるときに、私たちの心に啓示の光が差し込みます。そして悟りを得るのです。しかしこれは悟りを得るための半分のステップであり、その先の半分は更に重要なステップです。それはその御言葉を行うことにあります。御言葉の戸はイエス様の御口であるとともに、主にあって葬られた者の墓にある墓石なのです。

主は、私たちが真理を求め、探し、たたくことを願っておられます。求め、探すことは分かりやすいかもしれません。しかしたたくとは何でしょう?御言葉の戸をたたくのです。私たちの友なる主は、その戸をたたき続けて、友からパンを受け取る者を待っておられます。戸をたたき続けることはアクションなのです。それは、御言葉と神の前に砕かれ、へりくだって従順する姿勢なのです。

完全に砕かれて、ただ主の御心の通りになることを願い、求める者。その自分を捨て、自分が葬られた者の前にある問題、試練、困難が取り除けられることは、葬られた者の墓石がわきに転がされることなのです。そのとき栄光によみがえる神のみわざが起こり、私たちは悟りを得るのです。死と葬りと復活の毎日によって、私たちが、更に真理を悟る者となることを信じます。

聞くだけでなく、その御言葉を行って栄光をあらわす者となることを願いましょう。それは私たちを解放させ、成長させるのです。だからイエス様の御言葉を聞いて信仰を持ち始めたユダヤ人たちに対してイエス様はこう言われるのです。

「そこでイエスは、その信じたユダヤ人たちに言われた。『もしあなたがたが、わたしのことばにとどまるなら、あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。そして、あなたがたは真理を知り、真理はあなたがたを自由にします。』」(ヨハネ8:31~32)

御言葉にとどまるとは、その御言葉を行うことをライフスタイルとすることです。聞くだけでなく、行う者となるときに私たちは真理を知っていく(原語で見ても、それは体験的に知っていくという語ギノースコー)のです。

■A:考えてみよう
主を恐れ、主に聞き、主を愛し主に従う。

■P:祈り
御前にひれ伏し、御言葉を聞く者であらせてください。私の耳と心を開いてください。真理を求めます、探します、たたきます。
聞いたならばそれを行います。私を聞き従う者とますますならせてください。従順しあなたの栄光をあらわしたいと願います。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

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