■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二27章2節
★彼はすべて、主の目にかなうことを行った。父ウジヤが行ったとおりである。ただし、彼は、主の神殿に入るようなことはしなかった。民はなお滅びに向かっていた。
■O:今日のコラム
最近、水泳に興味を持ち始めた6歳の息子が、お父さんにこんな質問をしました。
「お父さんは、何の泳ぎが得意なの?」
お父さんは、「クロールだよ。」と答えました。続けて息子が、「じゃあ、何の泳ぎが一番好きなの?」と聞くと、「平泳ぎだよ。」と答えました。私は、このやりとりを横で聞いて、思わず「え!得意な泳ぎと好きな泳ぎは一緒じゃないの??」思わずツッコミを入れました。
さて、今日のみことばの箇所を読んで、このたわいもない会話のように、思わずツッコミを入れたくなるのは私だけでしょうか。「え!王が主の目にかなうことを行っているのに、民が滅びに向かっていくの??」と。
王が主の目にかなうことを行うなら、民は祝福を受けるのが私たちのイメージではないでしょうか。みなさんはどう考えますか。
はじめ、このユダの王ヨタムの短いストーリーを読んだとき、なんて単純明快で素晴らしい王なのだろう、と思いました。彼は歴代誌に登場する王の中でトップ3に入る良い王ではなかろうか、と。
「彼はすべて、主の目にかなうことを行った。」(Ⅱ歴代誌27:2)
「このように、ヨタムは勢力を増し加えた。彼が、彼の神、主の前に、自分の道を確かなものとしたからである。」(Ⅱ歴代誌27:6)
しかし、一つの言葉がひっかかりました。それは、「民はなお滅びに向かっていた」(2節)です。先ほども書きましたように、良い王であるならば、民に良い影響を与える、と考えるのが当然だと思います。しかし、ヨタム王の影響は、民にまで全く及ばなかったのです。
また、もっと最悪なのが、28章を読み進めていくと分かりますが、ヨタムの息子アハズが王になると、彼は、ベン・ヒノムの谷において、火の中に子どもをいけにえとして捧げる忌まわしい偶像礼拝へと民を導きます(3節)。
主の目にかなうことを行い、主の前に自分の道を確かなものとしたヨタム王。彼は良かったのですが、息子には良い影響を与えるどころか、最悪な影響を及ぼしてしまうこととなりました。
「…彼(ヨタム)は、主の神殿に入るようなことはしなかった。…」(Ⅱ歴代誌27:2)
私たちは、ここから何を学ぶことができるでしょうか。
自分は主に従って歩んでいる…ということが、必ずしも周囲、特に、家族に良い影響を及ぼすとは限らないということです。「いや、まてよ。やっぱりそんなことはない。主に従っているなら、自ずと良い影響が周囲に流れていくのではないか。」と今も書きながら自問自答しています。
もちろん、まず第一に主に仕えることが重要であります。しかし、それだけでは十分ではないと、今日のみことばが私の心に訴えかけます。
十字架を見上げるとき、そこに答えを見いだします。
十字架の縦の棒は、父なる神様に義を貫き通した御子イエスの歩みであり、横の棒は、全ての人を赦し、救うために広げられた、御子イエスのあわれみの姿です。
私たち自身が主に仕えることと同時に、私たちの心、情熱、熱心、行い、愛は、隣人に対しても向けられなければならないのです。
「もし、ほんとうにあなたがたが、聖書に従って、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。』という最高の律法を守るなら、あなたがたの行いはりっぱです。」(ヤコブ書2:8)
■A:考えてみよう
・自分が影響を及ぼす範囲は何ですか。
・その中で、良い影響を与えられているだろうか。
・自分が主に仕えることだけで満足していないだろうか。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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