■S:今日の聖書の言葉
歴代誌第二25章2節

★彼は主の目にかなうことを行ったが、全き心をもってではなかった。

■O:今日のコラム
25章はアマツヤ、26章はウジヤの歴史です。

ユダ王国の王、アマツヤもウジヤも、「主の目にかなうことを行った」という言葉で評価されています。イスラエル王国の王たちが、「主の目の前に悪を行った」と書かれていることとは対照的です。

しかし、アマツヤは、「全き心をもってではなかった」と書かれ、「彼の父祖、ダビデのようではなく、…」(Ⅱ列王記14:3)とも書かれています。

また、ウジヤは、神殿に入って、祭司しか許されていなかった「香をたく」という務めを行おうとして、その「不信の罪」のために、神殿の中で主に打たれました。

アマツヤとウジヤは、私たちクリスチャンに対する反面教師です。神の王国の王として、正しく国を治めようとしていた彼らの「心のずれ」は、私たち自身も陥りやすい罠として、注目すべきでしょう。神様にとって、行いも大切ですが、「心」がさらに重要だ、ということを改めて思います。

さて、調べてみると、「全き心」の「全き」という単語、ヘブル語は、「シャレーム」で、完全な、いっぱいに満ちた、全額の、完了した、安全な、平安な、…などの意味でした。

興味深いことに、主が、モーセを通してヨシュアに命じ、カナンの地に入った時に建てるように言った石の祭壇、その材料である、自然のままの石の「自然のまま」というのも、逆に、ソロモンの神殿のために、石切り場で完全に仕上げられた石の「完全に仕上げられた」というのも、この言葉だそうです。

これらの「完全な」「全き」石が、全焼のいけにえ、和解のいけにえを捧げるための祭壇の材料であり、主の栄光が住まうための神殿の材料であることには深い意味があるのではないでしょうか。

「そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。」(ローマ12:1-2)

「あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、聖なる祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。」(Ⅰペテロ2:5)

全き心こそ、霊的な礼拝をささげ、神様の臨在の住まいとなるための土台なのです。

ご存知のように、ダビデも罪をおかしました。しかし、彼の心が全きもので、そこから彼の真実な良い行いがあふれていたので、彼は、私たちのお手本となっているのです。

どうしたら、ダビデのように、「全き心と正しさをもって、主の前に歩む」(Ⅰ列王記9:4)ことを学べるでしょう?

答えの一つは、まず内側を先に主に助けていただく、だと信じます。

「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。
目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」(マタイ23:25-26)

「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7:21-23)

「とにかく、うちのものを施しに用いなさい。そうすれば、いっさいが、あなたがたにとってきよいものとなります。」(ルカ11:41)

「きよい人々には、すべてのものがきよいのです。しかし、汚れた、不信仰な人々には、何一つきよいものはありません。それどころか、その知性と良心までも汚れています。」(テトス1:15)

■A:考えてみよう
私の内に、自己中心はないだろうか。
神様よりも、隣人よりも、自分のやりたいこと、自分のやり方、自分の価値観を優先していないだろうか。自分の心は自分の行いを誇っていないだろうか。そのような高ぶりや無礼はないだろうか。

正直な答えは、「あります!そうです!私はまったくそのようなものです!」となるかと思います。だからこそ、私は今日、イエス様の赦し、きよめ、助けが必要です。
そして、「だからこそ、今日、私はあなたを見上げ、あなただけを礼拝します。」と宣言して、大胆に主の助けを受け取っていきましょう!主の愛の中に、飛び込んで行きましょう!

■P:祈り
主よ。私は罪人です。自己中心な者です。しかし、自然のまま、ありのままの、正直な心で御前に出ます。この心を受け取り、全き心、完全に仕上げられた心と造り変えてください。

あなたの愛と恵み注がれて、内側がきよめられ、柔らかくされ、感謝と平安に満たされて、外に出る言葉、行いが、あなたの素晴らしさを表すものとなっていきますように。

アマツヤやウジヤのように高ぶって分を超えて怒ってしまうものではなく、人を自分よりもすぐれた者、と素直に思えるほど、へりくだった素直な者と造り変えてください。

「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピリピ2:3)

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 とも子 】

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