■S:今日の聖書の言葉
第一歴代誌16章37節
★彼は、その場所、すなわち、主の契約の箱の前に、アサフとその兄弟たちをとどめておき、毎日の日課として、常に箱の前で仕えさせた。
■O:今日のコラム
第一歴代誌16章は、エリの時代から、サムエル、サウルと約100年にも渡って失われ顧みられることのなかった契約の箱が、ダビデの手によってエルサレムに運び込まれ、喜びの歓喜が湧き上がった事が記されています。ここからダビデの幕屋がエルサレムの中心で始まります。
ダビデの幕屋は聖書の歴史の中においても驚くべき出来事です。本来、至聖所の垂れ幕の内側に設置されるべき契約の箱がむき出しで置かれ、大祭司が一年に一度しか近づくことのできない契約の箱の前に、アサフを始めレビ人たちが毎日近づき、賛美と礼拝を捧げたのでした。
もしもダビデが自分の思いつきでこの様な礼拝をしたのであれば、ダビデは神への不敬により打たれたことでしょう。しかし、ダビデは打たれるどころか、神に喜ばれ、ダビデの幕屋が運営された33年半から次の王ソロモンの統治の前半にかけては旧約聖書の歴史の中で最もイスラエルが祝福され、神の恵みにより繁栄したのでした。その中心部分で休まず心臓のように霊的な鼓動を打ち続けていたのが、シオンの山でなされたダビデの幕屋の礼拝だったのです。
ダビデはこの事を思いつきでおこなったのではなく、啓示によりおこなったのでした。ダビデが見た啓示とは、一つは天の礼拝と(黙示録4章-5章参照)、もう一つは新約時代の教会の姿だったのです。
天においては、御座の前に24人の長老の座があり、彼らは主の御前にひれ伏して礼拝を捧げ、御使いたちは昼も夜も絶え間なく神を賛美し続けています。それなのでダビデの幕屋においても、ダビデはレビ人たちを24のグループに分け、24時間の絶え間ない礼拝を捧げたのでした。
今日の御言葉には「毎日の日課として、常に箱の前で仕えさせた。」と記されてありますが、この「毎日の」とは原文では「絶え間なく」という意味があります。つまりダビデの幕屋においては天でおこなわれている礼拝をこの地上で再現し、24時間常に、絶え間なく賛美と礼拝、とりなしと祈りを捧げたのです。その結果、イスラエル全体に、神の国が臨み、神の統治がもたらされたのでした。
現在、私たちはイエス・キリストの十字架の血潮により贖われ、幕の隔て無しに、大胆にまことの聖所へと入り、神の御顔を求め、神の御声を聞く恵みに与っています。旧約聖書においては考えられないことでしたが、主は私たちの心の宮に王座を設け、家庭、教会、職場、学校、どこの場所においても主の臨在の中に生き、主を礼拝することが出来る恵みを与えてくださっているのです。
主イエスの血潮により私たちは王であり祭司という身分を受けています。ダビデの時代になされた礼拝から学び、イエス・キリストを通し、御霊の助けの中で、私たちの日々の生活の中に主の力ある臨在が中心に住まう、ダビデの幕屋が回復しますように。
■A:考えてみよう
日々の生活の中で祈りの時間を設け、祈りの場にひざまずき、主の臨在を歓迎し続けましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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