■S:今日の聖書の言葉
ガラテヤ人への手紙5章9節
★わずかのパン種が、 こねた粉の全体を発酵させるのです。

■O:今日のコラム
ある人の経験で、「潮の流れが早いことに気づかずに沖で泳いでいて、ふと浜辺を見るとまったく違う所に流されていることに気付き、慌てて浜辺に戻った」という話を聞いたことがあります。

私たちの信仰生活においても、同じようなことが起こると、聖書は教えてくれています。パウロはあらゆる箇所で、幾度となく「しっかりと立って」と警告しています。それは、私たちの信仰がいつしか違う方向に流されることがあるからなのです。

ガラテヤの教会の中においても、まさに同じようなことが起きていました。熱心に走っていたガラテヤ人の教会が、いつしか御心からそれた歩みへと音もなくずれていってしまっていたのです。

「あなたがたはよく走っていたのに、 だれがあなたがたを妨げて、 真理に従わなくさせたのですか。」(ガラテヤ5:7)

今日の箇所では、「わずかなパン種が、粉の全体を発酵させる」と書かれていますが、パンに興味がなければ、それがどれほどのものなのかは、ピンと来ないかも知れません。詳訳聖書には次のように書かれています。「少しのパン種が練り粉全体をふくらませ、信仰の考え方の全体を誤ったものとするのです。」

「信仰の考え方の全体を誤ったものとする。」こう聞くと、わずかなパン種であっても、徹底的に注意して取り除かなければ、という危機感を覚えます。マタイの山上の垂訓の中で、イエス様に「わたしはあなたがたを全然知らない。」と言われてしまう人のことが書かれています。

「その日には、 大ぜいの者がわたしに言うでしょう。『主よ、 主よ。 私たちはあなたの名によって預言をし、 あなたの名によって悪霊を追い出し、あなたの名によって奇蹟をたくさん行ったではありませんか。』
しかし、その時、わたしは彼らにこう宣告します。『わたしはあなたがたを全然知らない。 不法をなす者ども。 わたしから離れて行け。』」(マタイ7:22~23)

これは決して、主の御名によって悪霊を追い出したり、奇跡を行うことが悪いと言っているのではありません。この、「あなたを全然知らない」と言われてしまう人とは、自分の信仰の歩みが正しいと信じて疑わず、自分の中に入った「パン種」によって信仰の全体が誤ったものとなっていることに気付かない者の歩み、また、自分の信仰生活の中に、ある種の思い込みや勘違いがあり、それに気付かずにいる者の歩みを表しています。

毎週日曜礼拝に参加しているから私の信仰は大丈夫。ある程度、代表的な御言葉はいくつか暗唱聖句している=(イコール)聖書に充分親しんでいる。もう何十年もクリスチャン=霊的に大人。それなりに良い人だし、だれとも喧嘩とかしないから、自分の人格は完成に近いに違いない。それが御言葉では悪いことだと言ってるのを分かっているけど、多少守れない時があっても、まぁ、のめりこまなければ大丈夫。目を覚ました世界的な器が語る聖会に参加し、信仰書もかなり読んでいる=目が冷めているクリスチャン。教会に仕えているから、それが私の信仰を保証してくれる。異言で祈れる=聖霊様と親しい…etc

非常に極端に書きましたが、これらは私自身の中に見つけることの出来た「信仰の勘違い」です。皆さんはいかがでしょうか。御言葉を知っているのと、それを守り行うこととは全く違います。知っているだけ、聞いているだけで、私たちはすでに御言葉を守り行っているかのような勘違いをしてしまいます。

このような、信仰の勘違いを持ち続ける時に、私たちは知らず知らずに神様の御心からずれまくった信仰生活を送ってしまいます。パン種は鼻息で飛んでしまうほど小さく、色も目立ちません。注意深く探さなくてはならないものです。

私たちの信仰を誤った方向へと導いてしまうパン種。注意して探さなければなかなか見つけることが出来ないパン種。どのようにして、取り除くことが出来るでしょうか。御霊に導かれた「祈りとみことば」によってです。御霊によって祈り、御言葉を求める時に、主は私たちの内にある御心から外れている部分に光を当て、気付きを与え、必要な悔い改めへと導いてくださいます。また、神様との愛の関係を持つ時に、それは重荷とはなりません。

このデボーションガイドを読んでくださる、愛する神の家族の皆様、ともに、神の御心を求めていく上で、胸が痛いですがどうしても書かなければならないことがあります。それも信仰の勘違いの一つになり得ることだからです。このデボーションガイドはあくまでもガイドであり、聖書そのものではありません。ですので、デボーションガイドを読むことで、「今日の御言葉をもう読んだ」という錯覚が起こらないことを切に願います。

今日も是非、ご自分で聖書を開き、主の御前で主が今日「私自身」に語りたい御言葉を見つけることができますように、心から祈ります。

■A:考えてみよう
自分のうちに、信仰の全体を誤った方向へと導いてしまうかも知れない「パン種」「信仰の勘違い、思い込み」はないだろうか。

■P:祈り
愛する主よ、御言葉を守り行うことを喜びとさせてください。肉の性質においては、それを重荷と感じてしまう時があります。何よりも私に必要なのはあなたとの、愛し愛される関係であります。
あなたを愛するゆえに御言葉を愛し、あなたを愛するゆえにきよさを愛し、あなたを愛するゆえに祈ることを喜びとする者とならせてください。

今日、私の上にあなたからの愛の油注ぎを受け取ります。祈りと御言葉を通して、私のうちにあるパン種、信仰の勘違い、隠れた罪、また主の御心から外れている部分にどうぞ光をあて、御霊による気付きを与えてください。

聖霊様、今日もあなたの助けを求めます。あなたが私の内に主権を持ってくださいますように。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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