■S:今日の聖書の言葉
Ⅱ列王記25章9~10節

★主の宮と王宮とエルサレムのすべての家を焼き、そのおもだった建物をことごとく火で焼いた。
侍従長といっしょにいたカルデヤの全軍勢は、エルサレムの回りの城壁を取りこわした。

15節

★また、侍従長は火皿、鉢など、純金、純銀のものを奪った。

■O:今日のコラム
列王記は、ユダ王国がバビロンに征服され、大多数の民がバビロンに捕囚として連れて行かれたところで終わっています。この結末から、またバビロンがユダに対して行ったことから、私たちは何を学べるでしょう。

聖書(1ペテロ2:9, 黙示録5:10)は、私たちが王(王国)であり、祭司である、と教えています。

今日の聖書箇所を、サタンの王国と戦う、私たちの霊的な戦いに当てはめてみる時、神殿、王宮、家、建物、城壁が、焼かれ、壊された、また、火皿、鉢などの器が奪われたとは、どういう意味があるのでしょうか。

(1)神殿が焼かれる
神殿の一番の目的は、神様への礼拝、祈りを捧げることであり、神様の御言葉を受け取り、臨在の中で神様と出会うことです。王宮が王の家であるように、神殿は、神様の家です。

神殿が焼かれるとは、神様と私たちの関係を築く場所が焼かれることであり、また、主の住まいである教会が、真の礼拝、真心からの信仰による祈り、生きた御言葉、主の臨在を失うことです。

「使徒の働き」に記されている、初代教会の姿と、現代の多くの教会、個人個人の信仰生活の現実には、まだまだギャップがあります。これは、現代にまで続いて来ている教会の歴史の中で、敵であるサタンとその軍勢である悪霊たちの攻撃によって、第一の戒めである、神様との関係を築く場所、また本質的な教会が焼かれて来たことを表しています。

しかし!
主をほめたたえます!

「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てます。ハデスの門もそれには打ち勝てません。」(マタイ16:18)

「この後、わたしは帰って来て、倒れたダビデの幕屋を建て直す。
すなわち、廃墟と化した幕屋を建て直し、それを元どおりにする。」(使徒15:16)

ご自身の教会を建てる、倒れたダビデの幕屋を建て直す、と約束された方は真実なので、今もそれをしてくださっていること、必ず成し遂げてくださることを信じてほめたたえます!

(2)王宮、家、建物が焼かれる
王であるイエス様、また王としていただいた私たちが、住み、そこから統治していく所、それが王宮です。

私たちの人生、その様々な領域(健康、経済、社会的責任、人間関係、家族、主のための働き…)が、敵悪魔によって攻撃を受け、神様がデザインされた、力強く健全な状態からはずれている時、王宮、家、建物が、焼かれている、と言っても良いでしょう。

このことでも、主をほめたたえます!
聖書全体を通して、神様は、ご自身が、回復される神であることを繰り返し示してくださっています。

神様との関係だけでなく、私たちの個人的な生活全般に渡って、回復を与えてくださることが、神様の御心です!

私自身も、救われる前は、泥沼のような生活の中にあり、将来も希望もない、廃人のような人生でした。しかし、イエス様の力強い救いと解放、回復のみわざにより、今は自由と喜び、希望の人生を歩んでいます!

(3)城壁が焼かれる
城壁とは、中にある神殿、中に住む人々を敵から守るものです。
この城壁が焼かれるとは、私たちの心に、いつも敵に侵入を許してしまう弱い場所があったり、人間関係の中に、未解決の破れたままの状態があり、その破れ口から、盗む者、殺す者、滅ぼす者が侵入してくるために、せっかく回復した礼拝、祈り、御言葉、臨在の場所が、再び邪魔されたり、せっかく回復した経済や健康、祝福がまた壊されたり盗まれたりしてしまう状態です。

ネヘミヤ記を通して、主は城壁も、築き直してくださる主であるこことを示してくださっています。

(4)侍従長は火皿、鉢など、純金、純銀のものを奪った、と書かれていますが、火皿や鉢、純金や純銀の器、とはなんでしょうか?

器は、私たち一人一人を表している、と解釈することができます。

「大きな家には、金や銀の器だけでなく、木や土の器もあります。また、ある物は尊いことに、ある物は卑しいことに用います。
ですから、だれでも自分自身をきよめて、これらのことを離れるなら、その人は尊いことに使われる器となります。すなわち、聖められたもの、主人にとって有益なもの、あらゆる良いわざに間に合うものとなるのです。」(2テモテ2:20-21)

悪魔や悪霊の攻撃に敗北した結果、教会の中から、そのような器、人々、奉仕者たちが、この世に奪われている、と当てはめることもできるでしょう。

「もし彼らが預言者であり、もし彼らに主のことばがあるのなら、彼らは、主の宮や、ユダの王の家や、エルサレムに残されている器がバビロンに持って行かれないよう、万軍の主にとりなしの祈りをするはずだ。」(エレミヤ27:18)

主の御心は、私たちが器のために執り成すことです。

主はもともと憐れみを表したいのですが、その義と聖なるご性質のゆえに、アウトをセーフ、ボールをストライク、とはできないのです。しかし、執り成す者がいる時、別のルールが適用され、悪魔がどんなに怒っても、主は憐れみの御心を遂行することができます。

■A:考えてみよう
イスラエルに起こったことは私たちへの教訓です。
一番は、偶像崇拝を避け、主から離れないことです。しかし、もし、そのような罪によって、敵が勝利し、私たちの教会、人生のある領域が、敵に焼き尽くされてしまったなら、貴重な器が敵地に引かれて行ってしまったなら、今こそ、回復の主の約束を握り、宣言し、主が回復してくださることを求めていきましょう。

また、主は、回復のみわざを行うために、器を求めておられます。
執り成す者、断食する者、破れに立つ者、愛し預言し真理の御言葉を宣言して建て直す者たちを探しておられます。
神の小羊の血によって罪を清められ、神の祭司とされた私たちは、恵みによって執り成す資格が与えられています。
志しを与えられたなら、勇気をもって主に応答していきましょう。

「あなたのうちのある者は、昔の廃墟を建て直し、
 あなたは古代の礎を築き直し、
 『破れを繕う者、
 市街を住めるように回復する者』と呼ばれよう。」
(イザヤ58:12)

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 とも子 】

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