■S:今日の聖書の言葉
2列王記20章19節
★ヒゼキヤはイザヤに言った。「あなたが告げてくれた主のことばはありがたい。」彼は、自分が生きている間は、平和で安全ではなかろうか、と思ったからである。
■O:今日のコラム
ヒゼキヤ王は神様の御心を損なった罪により、預言者イザヤを通して、後の世代がバビロンに捕らえられるという主からの言葉を告げられます。しかし、ヒゼキヤ王は主の言葉に対して、自分が生きている間は平和で安全だと安心してしまったのです。
そして残念な事にヒゼキヤ王は悔い改めることなく、その生涯を終えてしまったのです。その結果ヒゼキヤ王の死後、子どものマナセが次の王となりますが、偶像礼拝をして主の目の前に悪を行います。その姿をもしヒゼキヤ王が見ていたら、必死に悔い改めていたことでしょう。このように、一人の悔い改めが後の世代に大きな影響を及ぼします。
信仰継承は遺伝ではありません。私たちは後の世代にも主を恐れ愛することを、御言葉、祈り、生き方を通して伝えていく必要があります。
私たちは絶えずイエス様の血潮と赦しが必要です。まず自らが主の御前に悔い改め、血潮を宣言して祈る時に、「この罪の赦しとイエス様の血潮は自分の家族、友人、教会にも必要です!」という執りなしの思いがやって来ます。
自分の救いの達成で満足することなく、後の世代にも主の赦しと血潮が注がれるように、祈り求めていきましょう。イエス様は失われていく魂の為に、涙と血の汗を流し祈られました。それだけでなく、御自身の命をも捧げられました。そして今も天の御座でこの地を執りなしてくださっているのです。
悔い改めと執りなしの根底はイエス様の愛です。この愛を深く知れば知るほど罪に対して深い悲しみがやってきます。そして、その悲しみは私たちを悔い改めへと導きます。
私たちは絶えず聖霊様の促しと細き御声に耳を傾け、聖さを求め続けていきましょう。
■A:考えてみよう
この終わりの時代に主が私たちに願われていることは何でしょうか。神の国は悔い改めと共に広がっていきます。一人の悔い改めが家族、友人、後の世代、国家を変革していきます。
イエス様は必ずこの地に戻って来られます。今日の御言葉にあるように「平和で安全ではなかろうか」と思っている時に、突如として主の時はやって来るでしょう。
罪に妥協することなく、再臨に備え、主の道を整える者となっていきましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 よしあい 】
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