■S:今日の聖書の言葉
Ⅱ列王記13章18~19節
★ついでエリシャは、「矢を取りなさい。」と言った。彼が取ると、、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい。」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。神の人は彼に向って怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」
■O:今日のコラム
イスラエルの王ヨアシュは、ヤロブアムの道を歩んだ悪い王様でしたが、神の人エリシャが召されることを悲しみ、「わが父。わが父。イスラエルの戦車と騎兵たち。」と叫び、エリシャを慕いました。戦車も騎兵も戦いに力があることを意味しています。エリシャがエリヤから油注ぎを受け、預言の働きを引き渡されてから数々の預言や奇跡を行い、イスラエルに勝利をもたらしてきたことをヨアシュも認めていたのでしょう。
エリシャはヨアシュに対して、「弓と矢を取りなさい。」と言いました。弓も矢も霊的な武器を象徴していると考えられます。そしてヨルダン川東岸地域を占拠しているアラムに対して「矢を射なさい。」と言いました。その矢が勝利の矢であり、アラムを断ち滅ぼすことを宣言しました。続いて、その矢で地面を打つように命じました。しかし、ヨアシュは3回打っただけでやめてしまいました。そのことは、ヨアシュの不徹底さを表していると考えられます。矢は5回、6回、と打たなければならなかったのに、ヨアシュは途中で止めてしまったのです。
私たちもそのようなことを霊的に行っていないでしょうか?戦いを途中であきらめ、放棄していることはないでしょうか?黙示録の中に、「勝利を得るものは…」と表現されていますが、このことは私たちが信仰の戦いによって勝利を得ていくことを表していると思います。
黙示録2~3章の中に、7つの教会が出てきます。これは、7つの教会の勝利者に対する7つのステップを表しており、またキリストの花嫁の成熟段階を表しているとも考えられます。最後のラオデキヤの教会に与えられる報いにある、「わたしとともにわたしの座に着かせよう。」というキリストの花嫁になる成熟段階に達するためには、どのステップが抜けても到達できません。戦いを途中でやめてしまってはいけないのです。最後まで信仰の戦いを続けることが大切です。
また旧約の時代においてもエリコは、難攻不落の町でした。しかし、その町を主は、「あなたの手に渡した。」と言われました。ヨシュアたちは、1日1周6日間、エリコの町の周りを回りました。7日目には7周回り、大声でときの声をあげました。これは、完全さや徹底さを表していると思います。途中であきらめてしまうことなく、勝利を得るまでみことばを宣言し、戦い続けることの大切さを学ぶことができます。
「いのちのことばをしっかり握って、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は、自分の努力したことがむだではなく、苦労したこともむだでなかったことを、キリストの日に誇ることができます。」(ピリピ2:16)
■A:考えてみよう
与えられているレーマのことば、いのちのことばをしっかり握り、宣言し続けていきましょう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 あいこ 】
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