■S:今日の聖書の言葉
Ⅱ列王記9章30~33節

★エフーがイズレエルに来たとき、イゼベルはこれを聞いて、目の縁を塗り、髪を結い直し、窓から見おろしていた。エフーが門に入って来たので、彼女は、「元気かね。主君殺しのジムリ。」と言った。彼は窓を見上げて、「だれか私にくみする者はいないか。だれかいないか。」と言った。二、三人の宦官が彼を見おろしていたので、彼が、「その女を突き落とせ。」と言うと、彼らは彼女を突き落とした。それで彼女の血は壁や馬にはねかかった。エフーは彼女を踏みつけた。

■O:今日のコラム
旧約聖書においてソロモン王の時代以降、外交や政策において大きく成功した王はアハブ王です。しかし、彼は主を恐れかしこむことによって祝福を受けたのではなく、その妻、イゼベルの霊的な影響によりこの世の成功を手に入れたのでした。しかし、主の目にそれは非常に大きな悪でした。

現在においても政治的な活動には必ず霊的な影響が関わっています。ある地域の知事は、その地域の政策を決める時、また節目節目に必ず占い師のところに行きアドバイスを受ける。という話も聞いたことがあります。

そして、国家や政治の領域だけではなく、教会の中にもこのイゼベルの霊は入り込み、霊的なコントロールをしようとします。黙示録2章18節以降に記されているテアテラの教会には、イゼベルの霊が働いていました。イゼベルが働く時、その大きな特徴は、人々が実際的な不品行に陥るだけでなく、霊的な姦淫の罪を犯し、偽預言や行き過ぎた霊的なしるしばかりを求める様になります。

福音書の中でイエス様は「悪い姦淫の時代はしるしを求める。」と言われましたが、私たちが御言葉以上に目に見えるしるしを追い求め、イエス様ご自身を求める以上に霊的な現象を追い求めるならそれは霊的な姦淫となりうるのです。
 
私たちはこの様なイゼベルの霊という話しを聞く時、「あの人は、この人は、あの教会は。」と人を指差しがちですが、このイゼベルの霊に支配されないように最も気をつける必要があるのは、第一に私たちの心の王座です。

第二列王記においては、イゼベルに支配されていた王座を、油注ぎを受けたエフーが取り戻しました。同じように私たちの人生の統治権を油注がれた王イエス様が取り、心の王座を主なるイエス様が治めることが必要です。また御言葉の杖(権威)をもって心が統治されることを求めましょう。

またイゼベルは最終的にエフーの指示を受けた宦官によって打ち倒されました。宦官とは野心や自我を全て取り去られた人々です。私たちもキリストの十字架にあって自我に死んだ聖なる宦官となり、イゼベルの霊性を私たちの心から追い出そうではありませんか。イゼベルは王国を自分の野心の為に支配しました。教会やミニストリー、家庭においてもイゼベルの心が入り込む時、自分の野心の為に人々をコントロールしようとする力が働くでしょう。しかし、宦官は自分の野心の為に生きるのではなく、教会を一人の花婿イエス様に捧げる花嫁として整える為に、自分自身を十字架に付け、仕える者となります。

今日も、私の心の王座が主イエスの血潮により聖められ、自我やこだわりのもみ殻で覆われた心が聖霊様の炎により隅々まで焼き尽くされることを求めましょう。

■A:考えてみよう
主イエスの血潮の宣言、御言葉の朗読、御霊による祈りを通して、今日も心の王座の支配権を主にお捧げしましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 しんご 】

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