■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書45章21節(ピリピ1章)

「第一の月の十四日に、 あなたがたは過越の祭りを守り、 その祭りの七日間、 種を入れないパンを食べなければならない。」

■O:今日のコラム
エゼキエルはエレミヤやダニエルとほぼ同年代に生きていた預言者で、エゼキエル書はバビロン捕囚の期間に書かれたと言われています。
バビロン捕囚からの解放は第二の出エジプトと言われます。ここからわかるように、エジプトでもバビロンでも、同じ霊性が働いています。それはトーラー(モーセの律法)を禁じ、主の例祭をやめさせることです。

今日の聖書の箇所の前では、土地の割当が書かれており、その後に今日の箇所からは祭りの回復の事が書かれています。
ノアが方舟から降りてまず行ったことは主の祭壇を築くことでした。

「ノアは、 のために祭壇を築き、 すべてのきよい家畜と、 すべてのきよい鳥のうちから幾つかを選び取って、 祭壇の上で全焼のいけにえをささげた。」(創世記8:20)

また、ダビデも自分がイスラエルの王となってまず行った国家行事が契約の箱を迎えることでした。
「ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上ろうとして、 自分につくすべての民とともに出かけた。 神の箱は、 ケルビムの上に座しておられる万軍のの名で呼ばれている。」(2サムエル6:2)

ここからわかるように、私たちが罪の生活から神様の恵みの中に入れられる時、トーラー(神の律法=みことば)と、主の例祭(主との生きた関係=礼拝)が回復する必要があります。これこそがリバイバルです。
リバイバルは教会にたくさん人が来たり、様々な超自然的なことが起こることではありません。それらはリバイバルの結果です。リバイバルとは「復興」です。何が回復するのでしょうか。神のみことばであり、神様との生きた関係です。
まず個人の中にリバイバルが無ければ、家族、教会、国家のリバイバルはありえません。
私たちはイエス様を信じて終わりではありません。むしろそれはスタートであり、救いは達成していくものです。

「そういうわけですから、 愛する人たち、 いつも従順であったように、 私がいるときだけでなく、 私のいない今はなおさら、 恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)

結婚も、結婚式がゴールではなく、それは二人での新しい歩みのスタートであり、ある程度の時間をかけて夫婦は本当に分かり合えてくるものです。同じように、神様との関係も信じた時がスタートで、それから神様との関係を気づいていくものになります。
皆さんの中にこの啓示が与えられ、恐れおののきつつ救いを達成する力が与えられますように。

■A:考えてみよう
今日、自分自身の中にみことばの回復、神様との生きた関係が回復していく事を切に求めていこう。
そのためには、神様が創造主であり、私たちが造られたものであるという認識が必要です。
造られた私たちが創造主に文句を言うことはおかしなことです。自分の思い通りにならないからと言って、いつになっても神様に文句を言い続けてはいないでしょうか。そろそろ霊的な反抗期と決別して、霊的に大人になろうではありませんか。
聖書全体から学べる通り、私たちの祝福の原則は神への従順です。みことばに対しては常にアーメンしかないのです。「聖書にはこう書かれているけど、私はこうする」という事は神への背きの罪です。神への反逆です。
なぜ私たちは信仰を持っているがゆえに悩み、苦しみ、また時には迫害されるのでしょうか。それは神様の訓練であることもありますが、もう一つの原因としては私たちが神の召しに従っていないということも考えられます。
私たちが神様の計画によって創造されたその本来の目的から外れて生きているなら、いつも摩擦が生じ、何をしても辛く苦しく感じることがあると思います。
みことばに立ち返る悔い改めを今日もしていきましょう。悔い改めは自分の行きたい方向をあきらめて、神様の言われる方向へと歩みを変えて歩み始めることです。
天のお父さんの家へと向かう義の道へ、今日もお一人おひとりが導かれていきますように。

■P:祈り
愛する天のお父さん、私をこの地に造ってくださったことを感謝します。しかし、私は生まれながらにして罪の性質を持っていました。本来ならこのまま私は永遠の滅びへと入れられてもおかしくない立場でした。
しかし、このような小さなものに全ての創造者でおられる天のお父さんが目を留め、私の名前を呼び続けてくださったことを心から感謝します。それだけではなく、あなたの大切なひとり子をこの地に送り、自分ではどうすることもできない「罪」をその罪のないお方の血によって買い取って下さった事を感謝します。
一体私が何者と言うので、このような恵みが注がれているのでしょうか。私が何者と言うので私を救ってくださったのでしょうか。このような救いを思う時、感謝しか溢れてきません。
それであるのに、私は未だに神様に対していつも自分勝手にわがままを言っていることを認め、告白します。私の中に欲深い性質が今も残っていることを知るたびに、自分に失望してしまいそうになります。
そんな私を諦めずに救いの手を差し出し続けて下さる考えられないほどの神様の憐れみを感謝します。
今日、あなたのみことばの通りに生きていくことを改めて決心します。あなたを頭だけで知っているというのではなく、イエス様との生きた関係の中に入れられたいです。
主よ、私を哀れんで下さい。あなたと顔と顔を合わせて、共に永遠の喜びを味わいたいです。イエス様の血潮で私をきよめて下さい。御霊の更新によって、私の内なる人を今日も新しくして下さい。
あなたと共に歩む喜びを今日も味わうことが出来ることを感謝します。
イエス・キリストのお名前によってお祈りいたします。アーメン。

【しゅん】

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