■S:今日の聖書の言葉
Ⅰコリント13章11節
★私が子どもであったときには、子どもとして話し、子どもとして考え、子どもとして論じましたが、おとなになったときには、子どものことをやめました。
■O:今日のコラム
私には小学1年生の息子がいますが、親になって経験していることは、「成長の恵み」です。生まれてから幼児期の頃は、着替えることも食べることも歩くことも話すことも親の助けなしには出来なかったのですが、今では、これらのことを自分で出来るようになりました。成長は親にとって大きな喜びです。
赤ちゃんは、1つの細胞として始まり、成長して胎児となり、幼児期、思春期、大人へと成長していきます。同じように、救いも一つの細胞から始まります。霊的な幼児期、思春期を経て、キリストの満ち満ちたさまにまで満たされる成人期へと成長していきます。しかし、この霊的細胞は止まってしまう場合もあります。私たちがイエス様を受け入れた時のままでとどまっているならば、最も大切な段階に入ることは出来ません。最も大切な段階とは、キリストが私たちの内に形造られることです。
「わたしの子どもたちよ。あなたがたのうちにキリストが形造られるまで、私は再び産みの苦しみをしています。」(ガラテヤ4:19)
物理的なことで理解することは、霊的な事実を理解する大きな助けとなります。赤ちゃんは、いつも両親に抱かれ、常に両親の優しい語りかけ聞き、お腹が空いたらミルクをもらい、無条件に食べる物も着る服も与えられます。赤ちゃんは両親から愛を受け、養ってもらうことで成長します。
幼児期になると、親の助けを借りながら自然と自分の身の回りのことが自分で出来るようになっていきます。そして10代になると、赤ちゃんの時のような優しい語りかけが常になくとも、信頼関係の中で、失敗しながらもたくさんのことを学んでいきます。
そして大人になると、何においても自分の行動に責任を持つようになります。いつも誰かのせいにする、自分が可哀想、という自己憐憫の段階は過ぎ去りました。自分を十字架につけ、聖霊様によって動く段階です。
このように、救いの恵みを受け取ったなら、いつまでも幼児期のままでとどまらず、成長していかなければいけません。今、自分の成長がどの段階なのか、今一度立ち止まり、自分自身の霊的歩みをチェックしてみましょう。いつも感情によって動く幼児期の段階にいるならば、毎日主の懲らしめを受けることを通して、霊的イヤイヤ期から脱却しましょう。自分の意のままに動く、自分がしたいように生きる反抗的な思春期の段階にいるならば、聖霊様によってブレイクスルーされ新しく生まれましょう。毎日悔い改め、自分を十字架につけ、聖霊様によって動く成人期の段階へと進んでいきましょう。
「そういうわけですから、愛する人たち、いつも従順であったように、私がいるときだけでなく、私のいない今はなおさら、恐れおののいて自分の救いの達成に努めなさい。」(ピリピ2:12)
■A:考えてみよう
今、自分がどの段階にいるだろうか。霊的成長が止まった状態にないだろうか?自分自身の霊的歩みをチェックしよう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 ひさえ 】
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