■S:今日の聖書の言葉
エゼキエル書40章47節b

★神殿の前には祭壇があった。

■O:今日のコラム
シャローム!御国が来ますように!!

神殿は幕屋と同じ意味合いがあり、神殿の本質は神を礼拝する所です。モーセの幕屋も門から入り、祭壇、洗盤を通り、聖所、至聖所へと入って行きます。祭壇とは、捧げ物、いけにえを焼く所、今で言えば私たち自身を捧げる、汚れを焼く所、悔い改めを表します。礼拝は受けるのではなく、捧げるものです(もちろん受ける場合もありますが)。私たちが礼拝する時、父の御前に行く時、私たちはきよめられること、自分自身を捧げ、汚れが焼かれることが必要です。

「聖くなければ、だれも主を見ることができません。」(ヘブル12:14)

個人的な話しになりますが、先日、リニューアルされる悔い改めのテキストを読ませていただく恵みに預かりました。パッと目を通すだけでも「え、あれも罪?これも罪だったの?!」と次から次から出て来ること、私はこんなにも知らなかったのか!と驚きました。1つ1つ主の御前に出して悔い改めていくプロセスの過程ですし、これからも続けていく必要があります。今までも知っていたことですが、新しく「今この時、罪が何であるか?主ご自身が何を嫌うのか?罪を悟らないことはどれだけ愚かなことか?それを知れたことは最大の恵みである」ということを学びました。

私たちが御言葉を朗読する理由の1つは「罪が何であるか?神の正しさとは何か?」を知り、悟るためであることを覚えます。御言葉が私たちのうちに無ければ、御言葉を知らなければ、私たちは罪について悟ることは絶対に出来ません。

「わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします。その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:7~8)

私は今知ってる神様の性質や捧げる礼拝よりもさらに深みに入っていきたい、愛の深さを知りたい!と切に願います。
そのために必要なことは、御言葉により、血潮により、御霊により、真の悔い改めによって自分自身がきよめられること、汚れが焼かれること、ますます主の愛を知ることが必要であることを覚えます。そのプロセス1つ1つを通る中で私たちは神殿、聖所、至聖所と深みへと入っていけると信じます!

「心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。」(マタイ5:8)

これが幸いな者の歩みです!!

■A:考えてみよう
私たち1人1人が絶えず、御言葉によりきよめられ、自分自身を捧げ、悔い改めをもって神様ご自身の深みに入っていき、幸いさを知ることが出来ますように!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まなくぼ 】

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