■S:今日の聖書の言葉
Ⅰコリント9章25~27節

★また闘技をする者は、あらゆることについて自制します。彼らは朽ちる冠を受けるためにそうするのですが、私たちは朽ちない冠を受けるためにそうするのです。
ですから、私は決勝点がどこかわからないような走り方はしていません。空を打つような拳闘もしてはいません。
私は自分のからだを打ちたたいて従わせます。それは、私がほかの人に宣べ伝えておきながら、自分自身が失格者になるようなことのないためです。

■O:今日のコラム
冠とはどのようなものを想像しますか。何か一位になったり、栄光、評価の表れ。成し遂げたことや、能力に対して与えられるイメージが私にはありました。しかし、評価や称賛はやがて消え去っていくものです。朽ちていく歩みに対して与えられるものが、朽ちる冠であると思います。

私が主の前に良い結果とは思えない状況に直面し、自分を失敗者だと思った時に主が教えてくださったのは、「結果よりも、足りなくても一生懸命、誠実に歩んだ歩みを喜んでいるよ。悔い改めて、みことばに立ち返ったこと、それが勝利だよ。」と教えてくださいました。

私たちが与えられる冠、朽ちない冠とは、どのようなものでしょうか。結果でなく心のあり方、姿勢によって結ばれ与えられるものではないでしょうか。朽ちない歩みをしてこそ朽ちない冠を受けることが出来るのです。

「また、競技をするときも、規定に従って競技をしなければ栄冠を得ることはできません。」(Ⅱテモテ2:5)

ポイントは“規定に従って”だと思います。朽ちない歩み、朽ちない冠を得るのは、自分のがむしゃらな努力ではないのです。主の決められたこと、みことばに立って誠実に歩んでいくことです。なぜならこの冠は義の冠であると書かれているからです。(Ⅱテモテ4:8参照)

義に歩むから義の冠、義は変わることがないから朽ちない冠が与えられるのです。ですから、空を打つ拳闘ではなく、この一時に歩んでいく者となっていきましょう。朽ちる冠でさえもそれを受けるために努める者がいるのであれば、朽ちない冠を目指している私たちは、よりいっそうこのことに励んでいくべきだと感じます。

Ⅰコリント9章では福音を伝えることが書かれています。今日の箇所に書かれているように、他の人に宣べ伝えているなら、なおさらそれを自分自身に宣べ伝えていく必要があると思います。

自分の内側の、まだ福音が届いていないところに神様の言葉を蒔き、みことばの上に立って歩み続けましょう。
神様の義が私たちの中に全うされていきますように。

「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」(ピリピ3:14)

■A:考えてみよう
毎日主の前にかなう歩み、誠実さを保つことができますように祈り求めましょう。

「誠実と正しさが私を保ちますように。」(詩編25:21a)

みことばに歩む、この一時に励んでいけるように、決心しましょう。決心は更新するものです。昨日できなくても、今日できるように。やり続けることを共にしていきましょう!決心するとき、聖霊様が励まし、支え、そのことを成し遂げられるように助けてくださいます。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ゆうこ 】

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