■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙11章11節(エレミヤ書44章)
★ では、尋ねましょう。彼らがつまずいたのは倒れるためなのでしょうか。絶対にそんなことはありません。かえって、彼らの違反によって、救いが異邦人に及んだのです。それは、イスラエルにねたみを起こさせるためです。
■O:今日のコラム
パウロはイスラエル人の不信仰についての神様のご計画を教えてくれています。ユダヤ人たちがイエス様を受け入れなかったその不信仰によって、その救いが異邦人である私たちに及びました。
この章でパウロは、もともと選びの民であったイスラエル人と私たち異邦人をオリーブの木に例えています。
不信仰のゆえにユダヤ人という枝が切り落とされ、そこに野生のオリーブ枝である異邦人が接木され、救いにあずかったので、私たち枝は根であるユダヤ人に対して誇ることは出来ない、とあります。
ユダヤ人は不信仰のゆえに試練の道を通らされてきて、今も平和とはほど遠い環境に置かれていますが、イスラエル人が苦しんでいる間に、私たち異邦人に救いが及んできました。ですから、私たちは自分たちの信仰を、不信仰のイスラエルに対して誇ってはならないどころか、彼らの救いのためにとりなし、祈る責任があるのです。
25・26節では、「兄弟たち。私はあなたがたに、是非この奥義を知っていていただきたい。それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、こうしてイスラエルはみな救われる、ということです。」とパウロは言っています。
御父の心は愛するイスラエルの苦しみを思い、痛んでおられます。私たち異邦人も、イスラエル人も、天のお父さんから見たら愛する子どもです。私たちは自分たちの信仰を誇ることなく、私たちの兄弟であるイスラエルの救いのために、ますます祈っていきましょう。
「エルサレムの平和のために祈れ。…私たちの神、主の家のために、私は、おまえの繁栄を求めよう。」(詩篇122篇6・9節)
「シオンのために、わたしは黙っていない。エルサレムのために、黙りこまない。
その義が朝日のように光を放ち、その救いがたいまつのように燃えるまでは。」 (イザヤ書62章1節)
■A:考えてみよう
イスラエルに住むユダヤ人のクリスチャン (メシヤニックジュー) たちの中には、同胞であるユダヤ教徒から迫害を受け、また近隣諸国からの攻撃もあり、内側からも外側からも危険が迫るところに置かれている人もいます。
彼らとその家族があらゆる危険からも守られ、彼らの信仰が守られ、主にあってますます力強く御国を前進させていかれるように、御父と同じ心をもって祈っていこう!
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 みちる 】
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