■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書25章6節
★ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。
■O:今日のコラム
マタイ24章~25章は終わりの時代の備えをする為の重要な啓示が記されており、25章は10人のおとめの話しから始まります。
この10人のおとめの内、5人は賢く油を備え、もう5人は愚かで油を準備していませんでした。この油と、その油により燃えるともしびは、聖霊の満たしと御言葉の備えを意味しています。
愚かな娘は、賢い娘に「油を少し分けて下さい。」と頼みます。しかし、賢い娘は、「いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。」と答えます。これは一見、冷たい態度の様に思えますが、これは真実な反応です。なぜなら、聖霊の満たしや、御言葉の備えは、人から借りることは出来ないものだからです。自分の信仰を働かせて、時間を捧げ、犠牲を払い、自らが主を求め、備えなければならないものなのです。
さらに賢い娘たちは「それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。」と呼びかけます。私たちは新宿で「SHOP」という24時間の祈りの家を行っていますが、この箇所から、キリストの花嫁なる教会が花婿なるキリストが再び来られる前に、ともしびと油を備える為に、夜昼とりなし祈り続けています。
最初は、自分自身が、キリストの花嫁となる為に祈り続けていました。もちろんその願いは今も変わらず、以前にも増して花嫁の聖さと主との親密さを求めて祈っていますが、それと同時に、もう一つの重要な役割を担う必要があることを覚えます。
ここに登場する10人の娘は、愚かな娘も賢い娘も、みな眠ってしまいます。しかし、そこで真夜中に『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ者の声がします。祈りの家全体として、この叫ぶ者の声となりたい。という願いと召しを受け取りました。
日々、私たちがとりなしの祈りの叫び声をもって、叫ぶ者の声となり、この時代の教会と聖徒たちが目を覚まし、花婿が来られる備えをする為に。このマナメールを読む、私たち一人一人を主が各地において叫ぶ者の声として用いて下さいます様に。
■A:考えてみよう
今日、とりなしをもって、皆様が所属する地域教会の為に祈り、各教会が目を覚まし花嫁なる教会として起き上がる様に祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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