■S:今日の聖書の言葉
マタイの福音書21章43~44節

★だから、わたしはあなたがたに言います。神の国はあなたがたから取り去られ、神の国の実を結ぶ国民に与えられます。また、この石の上に落ちる者は、粉々に砕かれ、この石が人の上に落ちれば、その人を粉みじんに飛ばしてしまいます。

■O:今日のコラム
私たちは、主の家に植えられた木です。この家とは祈りの家でもあります。マタイ21章は有名な祈りの家について書かれている箇所です。

「それから、イエスは宮に入って、宮の中で売り買いする者たちをみな追い出し、両替人の台や、鳩を売る者たちの腰掛けを倒された。そして彼らに言われた。『わたしの家は祈りの家と呼ばれる』と書いてある。』それなのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしている。」(マタイ21:12~13)

私たちは、この信仰を自分の成功の道具として利用してはなりません。信仰とは、神を愛するが故に生きる生き方そのものです。愛によって働く信仰だけが大事なのです。イエス様は、信仰を利用して生きる生き方をする者達を、主の家から追い出されました。

私たちの肉の性質は、信仰を利用しようとします。聖書の約束を利用して世で成功しよう、有名になろうとします。私たちが主の家に植えられ続けるためには、古い肉の性質が砕かれる必要があります。そうなってこそ神の御心が喜びをもって受け入れられていきます。御霊の思いは、肉の思いと反するからです。そして、主の家に植えられ続け、とどまり続けているなら、必ず実を結ぶのです。水路のそばに植わった木のように。イエス様も、こう言われています。

「わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。」(ヨハネ15:5a)

19節から、枯らされたいちじくの木の話が始まりますが、これは実を結ばなくなったイスラエル人のことです。そして23節からは、何の権威によって、両替人達を追い出したのか?の話になります。一時的にですがイスラエル人は、主の庭から追い出されたのです。(それは今、それは回復されつつありますが。)その問答の結論がこの聖句です。この21章のストーリーは、一つのテーマをもって一貫して書かれているのです。私たちは砕かれて主の家に植えられた木であり続けましょう。そうして実を結ぶ国民となるのです。

今回ピックアップした44節を見ると、砕かれるためには、この石の上に落ちる必要がある、と言っています。砕かれる事は良い事です。神と御言葉に自分の全存在、自分の全人生を投げ込むとき、私たちは粉々に砕かれるのです。そして主ご自身が私たちを更に砕くために試練や困難を通して潰される時、石臼で引かれた小麦粉となって主に捧げられるのです。(旧約では、小麦粉が主に捧げられました)

ここで重要なのは、砕かれる事は自分の選択であるという事です。ベタニヤのマリヤは、自分の決断で、いのちのように大切な香油の壺を砕いたのです。しかしその先には、父の懲らしめが私たちを更に砕く時がやって来ます。そうして私たちは実を結ぶ国民となるのです。

「まことに、まことに、あなたがたに告げます。一粒の麦がもし地に落ちて死ななければ、それは一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。」(ヨハネ12:24)

■A:考えてみよう
日々、悔い改めをもって砕かれる事を受け入れ、生活の中で更に砕かれる出来事がやってくる時、父の招きを悟って、それを喜んで受け入れる。

■P:祈り
主よ。私を砕いて、あなたの家に植え続ける木であらせてください。そして父の懲らしめを私の頭が避ける事が無いようにさせてください。それは私の頭に注がれる最上の油だからです。

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 まじまこ 】

カテゴリー: マナメール

オンライン献金はこちらから。

大きな額の献金は手数料の少ない口座振り込みをお勧めいたします。

オンラインサポートの手順

Comments are closed.

  • 最近のコメント

  • 新宿シャローム教会 大久保会堂


    〒169-0073 東京都新宿区百人町1-23-24アミューズ大久保ビル2F
    TEL 03-3371-7558
  • アーカイブ

  • カテゴリー