■S:今日の聖書の言葉
マタイ13:44

★天の御国は、畑に隠された宝のようなものです。人はその宝を見つけると、それを隠しておいて、大喜びで帰り、持ち物を全部売り払ってその畑を買います。

■O:今日のコラム
多くの物を持たないことはとても幸せなことです。なぜなら、私たちは持っている物に支配されてしまうからです。かつて私は、物がある豊かな生活に憧れましたが、今はどれだけ減らせるか、人に与えられるか、どれだけ持たないか、所有しないかに価値を置いています。

私の夢は、自分の持ち物を一つのスーツケースに入る分だけに減らすことです。一時期は、それに近いと言ってもいいくらい少ない荷物でキープ出来たのですが、生活の変化や子供の成長などにより物が増えてしまいました。今ではスーツケース一つ分とはほど遠いものです。

あれはどこにしまったっけ、この引き出しには何が入ってるんだっけ…このように、物がどこにあるかが把握出来なくなったら、整理すること、物を減らしていくことを真剣に考えなければなりません。物を探すのに一日の多くの時間を費やしてはもったいないことです。私たちには、他に探すべき宝、時間をかけて見出すべき宝があるからです。

マタイ13章には7つの天の御国のたとえが書かれていますが、これら7つのたとえは、世の初めから隠されている奥義(35節)です。とても壮大な神のご計画ですが、その奥義の中心は「イエスキリスト」です。

4つ目の「畑に隠された宝」(44節)のたとえは、天の御国の中心部分となっています。畑に隠された宝を見出すなら、大喜びで持ち物全部を売り払う…とありますが、私たちは本当の宝、本当に価値あるものを見出すなら、喜んで犠牲を払い、自分の持ち物を手放すことが出来るのです。持ち物を売り払うとは、生き方そのものが変わることを意味しています。それほどまでに天の御国には絶大な価値があるのです。

御国を求めて祈ること、イエス様を熱心に捜し求めること、みことばをたくさん朗読すること、みことばに従うこと、異言で祈ること、自分の持ち物や時間を捧げること…多くの人がそのような歩みは価値がないと思うかもしれません。しかし、そのような地道な歩みの中にこそ、まことの命なる宝が隠されているのです。

「あなたがたがわたしを呼び求めて歩き、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに聞こう。
もし、あなたがたが心を尽くしてわたしを捜し求めるなら、わたしを見つけるだろう。」(エレミヤ29:12~13)

人の目に大きく映るもの、また、賞賛されるような大きな働きは、魅力的に思えます。しかし、その報いは一時的であり、この世で得た賞賛はやがてすたれます。しかし、主を愛し、主のみことばに従うことは、いのちに至る道であり、永遠に残る報いとなります。
自分の宝を地上にたくわえるのではなく、自分の宝を天にたくわえようではありませんか。

「それゆえ、私は、金よりも、純金よりも、あなたの仰せを愛します。」(詩篇119:127)

■A:考えてみよう
教えの風(流行、ムーブメント)に流される群衆ではなく、しっかりと地に足をつけ、みことばにとどまり、みことばに生きる弟子となりましょう。

従う第一歩として、まず自分の自我を主の前に差し出しましょう。また、自分の持ち物を誰かに分け与えること、誰かを助けることを通して、今日、天に宝を積みましょう。

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ひさえ 】

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