■S:今日の聖書の言葉
マタイによる福音書10章39節(エゼキエル書10章)

★「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、 わたしのために自分のいのちを失った者は、 それを自分のものとします。」

■O:今日のコラム
イエス様が語られる御国の文化について見る時に、それは私たちの暮らすこの世の文化と、まったく相反することが多いと感じます。
この世では、人々は常に何かを得るために労します。経済の満たし、肉体の欲の満たし、良い暮らし、人の愛、健康や美容、人からの賞賛、あらゆる物…etc
人は、何かを得ることに関して飽くことがありません。自分自身、気がつくとあれが欲しいな、ああだったらいいなと心に描き、知らず知らずのうちにそれを得ようと何らかの労を払っている時があります。
けれども、イエス様は「主のために手放す者、失う者が幸いである」と語られます。主のために自分のいのちを捨てる生き方は、イエス様と出会った者だけが体験することの出来る特権であると考えます。
これは、私の証しです。

自分は毎週金曜日の徹夜の祈りに入るようになって4年くらいになります。今はそれがこの上もない喜びですが、初めは疑いがありました。自分は睡眠不足が一番体にこたえる体質で、「何につけても睡眠一番」という考えでした。大人になっても昼寝の習慣を持っていたくらいです。
ですので、徹夜の祈りに入ることは私にとっては一大事であり、私の中には大きな不安と偽りがありました。それは「徹夜をすると体調を崩してしまう。何日も疲れがとれず、肌もきっとボロボロになるだろう…」というものでした。けれども、そんな思いの時にこのイエス様の言葉が私の心に響きました。「自分のいのちを自分のものとした者はそれを失い、 わたしのために自分のいのちを失った者は、 それを自分のものとします。」
神様のために、睡眠を捧げてみよう。神様のために睡眠を捧げたら、主はそれにまさるものを私に返して下さると主は約束してくださっているんだ。その約束を信じよう、と決心しました。

徹夜を始めて、自分はまさにこの御言葉がどれほど真実なものであったのかを体験するようになりました。徹夜の祈りに入って、私は体調を崩したでしょうか?崩すどころか徹夜の祈りをするようになって私の体力は10年前よりも増しているのを感じます。肌はボロボロになったでしょうか?なんと徹夜を始める前の頃よりも調子が良いのです。

誤解の無いようにしたいのですが、決して皆さんに徹夜で祈れと言っているのではなく、この、イエス様の語られた御言葉の真実さをお伝えしたいと願います。
時間が無いでしょうか?それなら、むしろその忙しい中での時間を神様に捧げてみるのはどうでしょうか。経済が苦しいでしょうか?それならば、むしろその中から主に捧げてみるのはどうでしょうか。人に仕えてもらいたいでしょうか?それなら、むしろ誰かに仕えてみるのはどうでしょうか。すべて、自分に必要と思うものを、自分で得ようとする代わりに、自分で守ろうとする代わりに、かえって大胆に主のために手放す時、失う時、喜びをもって信頼して捧げる時、私たちはこの御言葉の真実さを体験することと信じます。

■A:考えてみよう
自分の力で得よう、これは自分で守らなければ、と思っているものはあるだろうか?
今日、主のために失うという特権にあずかり、そのことによって、永遠のいのちを得るという恵みが皆さんの上にあることを祝福します!

■P:祈り

イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 みちる 】

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