■S:今日の聖書の言葉
マタイ9章2節

★すると、人々が中風の人を床に寝かせたままで、みもとに運んで来た。イエスは彼らの信仰を見て、中風の人に、「子よ。しっかりしなさい。あなたの罪は赦された。」と言われた。

■O:今日のコラム
今日の箇所でイエス様は数多くの癒しの御業を行なっています。この癒しの箇所から、ある共通点を見ることができます。それは「イエス様は当事者の信仰を見る」ということです。信仰は心の中の領域なので目で見ることは出来ないと思いますが、イエス様は「信仰を見て」とあります。(マタイ9:2)
どのようにして信仰を見ることが出来るのでしょうか?それは私たちの行動を通してです。
私たちが「イエス様は癒し主」と信じるならば、次に求められるのは信仰によるアクションです。信仰によるアクションはイエス様に対する信頼の現れです。2節で中風の人が登場します。中風の人本人に信仰があったわけではなく、彼の周りの友人たちに信仰がありました。中風の人を床に寝かせたままでイエス様のもとに運んで来ました。これが信仰が目で見える形で現れた瞬間でした。信仰を行いで現すことは簡単なことではありません。イエス様に信頼しアクションするときに、その姿は、ときに人の目に愚かに見えるときがあります。中風の人を家からイエス様のみもとに運ぶその姿は人の目にどのように映ったでしょうか?決して麗しいものではなく、むしろ愚かに見えたことでしょう。もしかすると運ぶ本人達も、自分達がしている行為が愚かに思えた瞬間があったかも知れません。しかし、人の目を恐れず、一切の疑いを捨ててイエス様に信頼するときにイエス様の心は動かされ、御業がなされるのです。この他にも9章では長血の女が登場します。彼女はイエス様に信頼して、着物のふさにさわりました。彼女が特別な信仰者であったのではなく、イエス様を信頼して、イエス様に一歩近づいて触れただけでした。イエス様はこの行為を信仰の現れとして見て下さったのです。二人の盲人もそうです。熱心にイエス様に叫び求めてついて来ました。この行動をイエス様は見ておられました。どの人物も共通しているのが、信仰の行動を持ってイエス様のもとに近づいたということです。信仰の一歩を踏み出しイエス様のもとに近づくという行為が大切なのです。私たちも日常生活の中で癒しを含めて様々な必要があります。その中でイエス様に働いてもらうことを求めて祈るわけですが、そのときにただ信じるだけで終わらずに、信仰の一歩を踏み出すことが大切です。人の目には愚かに見える一歩かも知れませんが、イエス様はその一歩をご覧になり、心動かされ御業をあらゆる領域の中に解き放ってくださることでしょう。信仰とはシンプルなことです。ただイエス様に信頼して信仰の一歩を踏み出すことなのです。言うのは簡単ですが実行するのは難しいことです。そのために絶えず祈り、聖霊様の助けを求めて行きたいと思います。聖霊様は私たちに信仰の一歩を踏み出す力を必ず与えてくださることでしょう。
今日も一日、イエス様の豊かな祝福が皆様の上にありますようお祈りします。

■A:考えてみよう
私たちの生活の中で、信仰の一歩を踏み出せない領域があるでしょうか?もしあるならば、そこの領域を勝利することが出来るように祈りましょう。神様は必ず突破の力を与えてくださいます。

■P:祈り
愛する、イエスキリストのお名前によってお祈りします。
アーメン

【 あきひろ 】

カテゴリー: マナメール

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