■S:今日の聖書の言葉
列王記第一21章29節(列王記第一22章)

★『「あなたはアハブがわたしの前にへりくだっているのを見たか。彼がわたしの前にへりくだっているので、彼の生きている間は、わざわいを下さない。しかし、彼の子の時代に、彼の家にわざわいを下す。」』

■O:今日のコラム
アハブは、稀に見る悪王でした。もちろんその隠れた(隠れていない?)要因には、イゼベルの存在があります。エリヤを恐れさせるほどの霊的なパワーを持っていました。悪王の影の支配者はイゼベルであったのです。
一方、ナボテは、先祖からの譲りの地を明け渡す事を拒みました。しかし、これは主の前に誠実な態度であったのです。

『あなたの先祖が立てた昔からの地境を移してはならない。』(箴言22:28)

アハブとイゼベルは計略を巡らしてナボテを殺し、この土地を奪い取ってしまったのです。それも自分の野菜の畑にしたかったというだけの理由で。こんなにひどい王であっても、へりくだって、悔い改めるなら、主はあわれみを注いでくださるのです!主は、アハブがへりくだっている事を喜んでおられました。私たちも罪の性質を持ち、救いようのない者たちですが、十字架の前にへりくだる時に赦される事を感謝します。
主は、へりくだる者に大きな恵みを注いでくださいます。主が私たちを、絶えずへりくだる者であらせてくださいますように!
へりくだるという語は(へ)カナーで、へりくだる、征服される、という意味の語です。私たちがへりくだるというのなら何かに征服される必要があります。私たちは毎日、私たちの心の王座をイエス様に征服していただく必要があります。その者の祈りはパワフル、その者の生き方には恵みが溢れます。私たちが完全に神の所有であるなら、私たちに関わる全てのことについて神が責任を持って面倒を見てくださるのです。
私たちは、神の国を第一に求めるべきですが、神の国とは神のご支配の事です。私たちが自分自身を神のご支配に委ねるなら、一切の必要に対しての心配が必要ありません。この王座を譲ることが礼拝の基礎、神の国の初歩なのです。黙示録は天にある礼拝を描いていますが、その中で顕著に描かれているのは『御座』なのです。主のお座りになられる御座を設ける事は、今日一日の歩みという礼拝の基礎なのです。そしてこのように自分を捨てる事は、弟子が日々最初にするべき事なのです。弟子は自分を捨て、日々自分の十字架を負って、イエス様について行く者の事だからです。朝一番に主を自分の王座にお迎えしましょう!神の国を第一に求めなさい、とありますが、『求める』という言葉には、ヘブル語で『朝』という意味があるのです。

■A:考えてみよう
朝一番に一日を感謝し、御座をイエス様にお迎えしましょう。

■P:祈り
これは主が設けられた日です。この日を楽しみ喜びます。今日の一日に感謝します。あなたこそ私の王、私の主です。私の王座にお座りになり、私の今日を治めてください。

【 まじまこ 】

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