■S:今日の聖書の言葉
1列王記15章3〜4節
★彼は父がかつて犯したすべての罪を行ない、彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。しかし、ダビデに免じて、彼の神、主は、エルサレムにおいて彼に一つのともしびを与え、彼の跡を継ぐ子を起こし、エルサレムを堅く立てられた。
■O:今日のコラム
列王記において、主の御心にかなう王か、かなわない王か?と言う事はダビデを基準として測られました。善き王は「ダビデのように歩んだ」と記録され、悪しき王は上記の御言葉にしるされている様に「彼の心は父ダビデの心のようには、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。」と記されています。
つまりダビデは後の世代にとって、礼拝者を測る高い基準となったのです。彼は王であるより先に、主を切に慕い求める礼拝者でした。ダビデがどれ程に主を愛し、主を求めていたかは、詩篇を読めば知る事が出来ます。
私達も主イエスの十字架の血潮により王としての役割が与えられています。しかし、どんな働きをし、ミニストリーを行い、賜物を用いるか。と言う事より先に、私達は主を愛し、慕い求める一人の礼拝者として生きる事が必要です。
主が天から地の隅々まで見つめて探し求めている人物は、賜物や力があり、知識と豊かな経験に満ち、影響力のある人気のある者では無く、主と心が全く一つになった人です。主と心を一つにして歩む者に主は力と知恵を与え、天にある全ての祝福を持っていっさいを満たして下さるのです。
「主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」(2歴代誌16章9節a)
■A:考えてみよう
今日、「私の心は主と一つになっているだろうか?」と自分自身の信仰を吟味してみましょう。世と神との間で心がさかれ二心になっていないでしょうか?日々、悔い改めと祈りの生活を通して主と一つ心になる歩みへと立ち返る事が出来ます様に。聖霊様の助けを求めて祈りましょう。
■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。
【 しんご 】
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