■S:今日の聖書の言葉
ローマ15章1-3節

★「私たち力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです。自分を喜ばせるべきではありません。私たちはひとりひとり、隣人を喜ばせ、その徳を高め、その人の益となるようにすべきです。キリストでさえ、ご自身を喜ばせることはなさらなかったのです。むしろ、『あなたをそしる人々のそしりは、わたしの上にふりかかった』と書いてあるとおりです。」

■O:今日のコラム
私たちは、試練や苦難にあう時、弱さを感じる時、どのように乗り越えているでしょうか。それらは、自分の罪からおこるものと、主に従って義のゆえにおこるものとがあります。でも、そのすべての解決、乗り越える力は、私たちの主イエス・キリスト、十字架にあります。

今日の箇所でパウロは「力のある者は、力のない人たちの弱さをになうべきです」と言っています。この「になう」とは「自分のものとして受け入れる」という意味があります。その人の弱さを自分のものとして受け入れ、背負うということです。私たちは人の弱さを受け入れることが出来るでしょうか。人の弱さが見えた時に責めたり、悲観的になったりしてはいないでしょうか。

正直、私は職場や教会で相手の人の弱さが見えた時にどうして?またか!と思うことがありました。自分にはまだまだ人間的な強さやプライドがあり、人に対しても同じように思っていました。しかし、主は試練を通して、私の人間的な強さを取り、プライドを砕き、低くされました。私自身が砕かれ、涙を流して、自分の弱さを告白した時、イエス様の姿、十字架が私の目の前にありました。
そうです。このお方こそ、すべての人の弱さを自分のものとして受け入れて下さった方。私たち、すべての人の弱さ、恥、罪も咎もすべてを背負って下さったお方です。このお方を見上げる時、聖書の御言葉に目を留める時、私たちは忍耐と励ましを受けるのです。
「昔書かれたものは、すべて私たちを教えるために書かれたのです。それは、聖書の与える忍耐と励ましによって、希望を持たせるためなのです。」(ローマ15章4節)

聖書がいう「忍耐」はこの世の修行のような苦しみにただ耐え忍ぶものではなく、希望がある、約束があるゆえに耐え忍ぶ「忍耐」です。その先には報いがあるのです。私たちに与えられる相続があります!イエス様はこの地上で自分を喜ばせることはなさらず、むしろ後にある喜びゆえに十字架を忍び、死にまで従われました。日々、私たちもこのような生き方をしたいと願います。

■A:考えてみよう
私たちが自分の弱さ、人の弱さを味わう時にこそ、イエス様の十字架の御業を思い起こしましょう。そしてキリストのからだである神の家族、教会の中でお互いの弱さをにない、愛し、励まし合い、祈り合い、主が再び来られるという約束を、今日も希望と喜びに満ち溢れながら待ち望んでいきましょう。

「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。」(ローマ15章5-7節)

■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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