■S:今日の聖書の言葉
ローマ人への手紙13章11節
★…あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。
■O:今日のコラム
先日、昨年天に召された愛する姉妹の思い出を語り合う会に招かれ、神の家族と共に素晴らしい時を過ごしました。
集まった兄弟姉妹たちの分かち合いを聞き、姉妹がどれほどに愛の人であり、人々に仕える人であったか、また、悲しみを抱いてとりなす人であったかを知りました。リバイバルを求め、主の再臨を待ち望み、最後までキリストの花嫁として主を愛する歩みを全うされました。
待ち望んでいた主の再臨を地上で見ることはありませんでしたが、姉妹は最後まで走るべき行程を走り尽くし、主から受けた恵みを私たちに証ししてくださいました。
最後まで走り抜く…とは、全てを行うことでも、全てを見ることではありません。それは、なすべき私たちの分を果たすことを意味しています。
バプテスマのヨハネは、到来することになっていたお方を待ち続けて全生涯を費やしました。彼の働きがピークに達した時に、投獄と突然の処刑によって彼は人生を終えました。それゆえヨハネはイエス様の公の働きも、死者の中から復活も見ることはありませんでした。しかしヨハネは「荒野で叫ぶ声」「花婿の友人」としての自分の召命を知り、その使命を最後まで全うしました。
私たちは、信仰と忍耐によって約束のものを相続した信仰者たちにならう者となりたいと願います。
今日の箇所であるローマ13章11節には、「救いが近づいている」とはっきり書かれています。そうです。まもなく主は天から戻って来られます。もし、その日はまだ来ないとどこかで思っているから、これまでの古いやり方で生きようと肉の力が働き、霊的に眠ってしまうでしょう。私たちは今が眠りから覚める時刻、夜明けにいるということを知らなければなりません。
ですから、救いの日が近づいている今、目を覚まし、自分のなすべきことを行っていきましょう。人を見るなら、自分に与えられた道を走ることは出来ません。私たちが見るべきお方は、イエス様ご自身です。最後までイエス様から目を離さないでいましょう。
「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。」(へブル12:20)
たとえ試練の中にあっても、姉妹のように病の床にあったとしても、全ての望みを主に置き、花婿なるイエス様を見つめ続けましょう。まもなく主は戻って来られます。絶えず目を覚まし、神様が与えて下さったレースを最後まで走り抜けましょう。
■A:考えてみよう
主の御前で問われることは、私たちがどんな偉大なこと成し遂げたか、ではありません。どれだけ愛に生きたかどうか。そして、主が与えて下さった道(計画、召し)に歩んだかどうか、です。
きょう、主の御声を聞いたなら、なすべきことを行いましょう。主が示して下さった道に歩むなら、主は最後まで情熱と力を与え続けて下さいます。
「神は正しい方であって、あなたがたの行ないを忘れず、あなたがたがこれまで聖徒たちに仕え、また今も仕えて神の御名のために示したあの愛をお忘れにならないのです。」(へブル6:10)
■P:祈り
人に評価される偉大な働きではなく、イエス様が覚えて下さることを行えますように。日々朗読している山上の垂訓の教えの中のごく小さなこと一つでも、私の人生で開かれ、最後まで完全に従えるようにしてください。
イエスキリストのお名前によってお祈りします。アーメン
【 ひさえ 】
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