■S:今日の聖書の言葉
使徒26章14節
★私たちはみな地に倒れましたが、そのとき声があって、ヘブル語で私にこう言うのが聞こえました。『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。』
■O:今日のコラム
おはようございます。今日も十字架の勝利が与えられていることを感謝します。どんな状況でも、最終的に勝利を取るのは、イエス様です。
パウロさんの証は、ほかの個所でも述べられていますが、今日の個所では、詳しく述べられており、「とげのついた棒をけるのは、あなたにとって痛いことだ。」という表現はここだけで使われています。パウロさんにとってのとげのついた棒とは何でしょうか?イエス様です。パウロさんは熱心に教会や信徒を迫害していました。しかし、それは実は神ご自身を蹴り返そうとし、神に背く愚かなことであると主ご自身が示してくださったのです。
私たち自身も救われた者ですが、信仰生活を歩む中で、神様の義ではなく、自分自身の義を選び取ってしまい、主に背く弱さがあります。しかし、自分の義を選び取るなら、そこには死が待っています。
『もし肉に従って生きるなら、あなたがたは死ぬのです。』(ローマ8:13a)
肉に従って歩むことは、結局は私自身にとって痛いことなのです。
また、私たちが「主よ。主よ。」と言う者であっても、主の目に義とされなければ、それは何の意味もなく、「不法をなす者ども。私から離れていけ。」といわれてしまうのです。主の御心を行う者でなければ、どれだけのことをして御国に入ることはできないのです。
人間は弱いですから、罪を犯したり、自分の義を選び取ってしまうのです。とげのついた棒を蹴り続けることは、結局私たち自身を痛みつけ、死という滅びへと招くのです。
では、罪深い私たちはこのまま滅んでしまうのでしょうか?
『さあ、今、あなたがたの行いとわざを改め、あなたがたの神、主の御声に聞き従いなさい。そうすれば、主も、あなたがたに語ったわざわいを思い直されるでしょう。』(エレミヤ26:13)
悔い改めは、なんという恵みでしょうか。今日も悔い改めを通して、とげのついた棒を蹴るのではなく、主の御心を選び取っていきましょう!!
■A:考えてみよう
今日、自分の一つ一つの奉仕や行動や心が、主の前に喜ばれるものとなっているだろうか?
喜ばれないものがあるなら、それを認め、悔い改めをもって、主に喜ばれるものに立ち返りましょう!
■P:祈り
主よ。今日新しく、私があなたの御心にかなう歩みをすることができますように!あなたの願いを祈ることができますように!
そのために、あなたの御心を悟らせてください!
イエス・キリストのお名前によって祈ります。アーメン。
【 まこと 】
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