■S:今日の聖書の言葉
使徒20:24

★けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。

■O:今日のコラム
私たちに命が与えられた目的はなんでしょうか。
それは第一に「神様に愛される」ためです。
私たちは、神に造られた神の ”最高傑作品” であり、一人一人が ”高価で尊い” 存在です。
世界の基の置かれる前から、天のお父さんがイエス様によって私たちを自分の子にしようと、愛をもってあらかじめ定められていました。

パウロは他の箇所でこうも言っています。
( IIテモテ4:2,7)
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。寛容を尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。………私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。」

私たちには、イエス様の十字架によって救いの道が開かれ、ただ一方的な恵みと愛によって、永遠に主と共に住まう永遠の命という希望が与えられました。

(エペソ2:8)
「あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。」

救われることだけが目的であれば、信じた瞬間に私たちは天国に行くはずです。だけれども、私たちは引き続き、この地上に生かされています。
なぜでしょうか?

それは「神様の計画」があるからです。イエスキリストを信じたものに対する、神様の心があるからです。私たち一人一人に「使命」が与えられています。

パウロにはパウロに与えられた走るべき行程があり、神様に与えられた使命がありました。「神の恵みの福音をあかしする任務」です。
パウロの他にも、命がけでこの恵みの福音を日本に伝えてくれたものがいて、そして私たちに福音を伝えてくれた人がいて、またとりなされた祈りがあって、今の私たちの救いがあるのではないでしょうか。

■A:考えてみよう
この「終わりの時代」という時に、自分という存在が生かされていること、その重要性、責任、重みを、へりくだりをもって受け止めたいです。
私たちは恵みによって救われました。先に救われたこと、その意味を考えたいと思います。

イエス様がこられるその日を待ち望み、今日という日に、今日私に与えられた走るべき行程を走ることができますように。

■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 あい 】

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