■S:今日の聖書の言葉
エレミヤ15章16節

★「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました。あなたのみことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなりました。万軍の神、主よ。私にはあなたの名がつけられているからです。」

■O:今日のコラム
エレミヤは預言者として召し出されました。預言者は、主のことばを預けられた者であり、主が語れと命じることは、どのようなことでもすべて語らなければなりませんでした。
今日の箇所でエレミヤは「私はあなたのみことばを見つけ出し、それを食べました」と言っています。「見つけ出す」ためには、探さなくてはなりません。私たちは、ただみことばを朗読するだけではなく、みことばの中にある宝を探して「見つけ出す」ほどの飢え渇きが必要なのです。
「見つけ出す」という原語には「出会う」という意味もあります。私たちは、みことばを朗読する中で主ご自身と「出会う」ことを経験していきます。主と出会うことを経験するなら、私たちの飢え渇きはさらに強くなります。なぜなら「みことばは、私にとって楽しみとなり、心の喜びとなる」からです。

ダビデは詩篇でこのように言っています。
「あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」(詩篇119篇72節)

今私たちの手元にある聖書、みことばはどんなに価値のあるものでしょうか。私たちはどれほどみことばを尊んで朗読し、宣言しているでしょうか。私自身、みことば、主ご自身に対する飢え渇きがもっと欲しいと願い、祈っています。私の人生には、みことばが必要です!主ご自身が必要です!と。食べなければ飢餓で死んでしまうのと同じに、みことばを食べなければ、私たちは霊的に死んだ状態です。今日、聖霊様の助けによって、みことばに対する飢え渇きとみことばを悟る力が与えられるように祈りましょう。

19節には「もし、あなたが、卑しいことではなく、尊いことを言うなら、あなたはわたしの口のようになる」とあります。「尊いこと」とは、主のことばです。私たちはこの口でどれだけ主のことばを語っているでしょうか。国々や教会に対して語る預言者ではなくとも、私たち一人一人は自分や自分が置かれている状況、場所に対して預言する(みことばを宣言、語る)ことが出来るということを今一度覚えたいと思います。私たちの口が主のことばを語る、主の御口のようになることを祈り求めていきたいと思います。

■A:考えてみよう
・毎日みことばを見つけ出し(みことばと出会い)、食べているだろうか?みことばは私にとって喜び、楽しみとなっているだろうか?
・私の口は尊いことを言う主の御口のようになっているだろうか?
今日、私たちの口をみことばによって洗い、イエス様の血潮によってきよめて頂きましょう。そして、この口を聖霊様に支配して頂いて歩めるよう祈っていきましょう!

■P:祈り
イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。

【 ささまな 】

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